西田幾多郎著『哲学概論』 第二編 認識論

第一章 認識論の問題

認識論とは知識を研究する学問であり、知識が知識自身を対象とする学問である。従つて認識論とは知識が知識自身を反省する学問であると云つてよい。独逸語では普通に Erkenntnistheorie と呼ばれる。時として Epistemologie とか Noetik とかいふ言葉も用ひられるが、これは余り一般的な用語ではない。英語では Theory of Knowledge である。

まづ認識論の歴史のやうなものを簡単に話しておく。認識論が盛んになつたのは近世に入つてからである。しかし認識論の問題は古代からあつた。知識には真と偽の区別があり、どのやうな知識が真であり、どのやうな知識が偽であるかといふことは、認識論上の大事な問題であるが、そのやうな問題は既にプラトンによつても論ぜられた。プラトンが、感覚から得られた感性的知は偽であり、理性によつて得られた概念的知が真であるとしたのはそれである。アリストテレースも同様である。ギリシャ哲学の末期は懐疑的となり、ピロン Pyrrhon の懐疑論なぞも現はれたが、それは知識の確実性や限界の問題に触れてゐると云つてよい。中世では知識は信仰によつて束縛されてゐた。ところが近世になり、学問が中世的な宗教の圧迫から脱して独立すると共に、知識が知識自身を問題とするに到つた。ベイコンは経験を重んじデカルトは思惟を重んじたが、共に確実な知識を得るための方法を問題としてゐる。しかし科学の方法論ともいふべきものが主で、未だ十分の意味での認識論ではない。これに対し、組織だつた認識論はロックに始まる。彼の「人間悟性論」 An Essay concerning Human Understanding は、認識の起源や妥当の範囲を論じてをり、今日の認識上の問題は、一応は悉く彼によつて触れられてゐたと云つてよからう。しかしロックは単に心理現象として認識を考へてゐるだけで、深く真理といふものの性質を問題としてゐない。ロックに続いてバークリやヒュームが出たが、同様である。単に心理学的である。その点、今日から見れば、認識論としては不十分である。今日認識論と呼ばれるものの基礎は、カントによつて始めて置かれた。カントは認識の妥当や価値を問題とした。カントは事実問題 quid facti と権利問題 quid juris とを区別した。彼は、「我々の認識はすべて経験と共に mit der Erfahrung 始まる、しかしだからといつて我々の認識は悉く経験から生ずる aus der Erfahrung のではない、」と云つてゐるが、そのやうに認識がどのやうな心理的過程として成立するかといふことを明かにしただけでは、その有する意味や価値は決らないのである。これがカントが事実問題と権利問題とを区別した所以である。

カントの認識論の精神に触れようと思へば、やはり「純粋理性批判」 Kritik der reinen Vernunft や「プロレゴメナ」 Prolegomena を読まねばならぬ。一体哲学に関する著書は、単に用語を覚えるだけのつもりなら、紹介書でも読めばそれで足りるが、真に実のあるものを掴まうといふなら、やはりこのやうな大哲人の著書に直接触れるのがよい。今日からみて不完全なところがあつても、確かに為になるものを多く含んでゐる。今日の認識論は、何と云つてもカントからである。歴史のことはそれだけにしておく。

認識論は知識が知識自体を研究する学問であると云つておいたが、認識の問題は単なる心理学的研究だけでは十分に明かにされることはできない。そのことを考へてみれば、カントが事実問題と権利問題を区別した理由も分るし、認識論とはもとどのやうなものであるかといふことも、一層明かになるであらう。そしてそれは、精神現象は単なる自然現象とは異るといふことに基づくのである。

大体、我々がものを知るといふことは、精神の働である。しかしもしそれを普通の心理学者が考へるやうに、単なる心理現象と見るならば、一般の自然現象と別に異る点はあるまい。一般の自然現象が空間的、時間的、因果的な出来事であるに対し、心理現象は時間を主とする点に相違があるだけである。もしさうなら、単なる事実の学としての心理学の外に、別に認識論を立てる必要はない。しかし精神現象は単なる自然現象にはつきないから、別に認識論が必要になるのである。

ブレンタノ Franz Brentano 1838 - 1917 は彼の心理学 Psychologie vom empirischen Standpunkt. 1874. に於て、自然現象と精神現象の区別を次のやうに説明した。即ち彼によれば、自然現象は単なる事実 Faktum であり、単なる出来事 Geschehen である。しかし精神現象は単なる自然現象ではない。無論精神現象にも、一面、単なる事実、単なる出来事と考へられる点がある、しかし他方、精神現象は同時に意味を有つ、ここに両者の相違がある、と。ブレンタノはそのことを、 intentionale Inexistenz des Gegenstandes 或は Beziehung auf einen Inhalt 又は Richtung anf ein Objekt 更には immanente Gegenständlichkeit なぞと色々に呼んでゐるが、要するに精神作用は意味を有ち、何かの内容を Intention 〈志向〉してゐることを述べてゐるのである。この対象の志向的内在といふ思想は、トマスアクヰナスにあり、もとアリストテレースに由来するのである。

例へば私が赤い花を表象する時、私の心には赤い花の姿が浮んでくる。しかしそれは単に心理的な出来事といふだけではなく、赤い花といふ対象を志向してゐる。或は、「今日は天気がよい」と語る時、それは単に「今日」、「天気」、「よい」、といつた表象の継起には尽きず、全体として「今日は天気がよい」といふ一つの意味を現はし、それを志向してゐるのである。ヂェイムスは意識の流 stream of consciousness といふことを説いたのであるが、彼の心理学 Principles of Psychology の中で、次のやうな例をあげてゐる。例へば “The pack of cards is on the table.” と云へば、それは連続をなした一つの意識の流であらう。しかも the pack of cards といふ時、既に on the table が予想されてをり、逆に on the table といふ時 the pack of cards が失はれずに残つてゐる。つまり ‘pack’ ‘cards’ ‘on’ 等々は “The pack of cards is on the table.” を地盤とし、それぞれがこの “The pack of cards is on the table.” といふ全体の関つてゐる。この全体が文章の有つ意味である。図で示せば次の如くにならう。
(図有り。)
このやうにヂェイムスが語るところにも、大体同じ意味のことが述べられてゐるのだと云つてよい。意識の流を通じて一つの意味が志向されてゐるとも解される。このヂェイムスの説明は単に心理的であるが、もつと論理的には次のやうに云ふべきである。例へば、「三角形の内角の和は二直角である」といふ命題の意味なり、真理なりは、誰れが、いつ、どこで考へても同一の真理である。無論単なる心理現象としては、人と時と所によつて、それぞれに異つた心理現象である。しかもそれぞれに異つた心理現象を通じて、永遠にして普遍的な心理そのものが志向されてゐるのである。ブレンタノはこのやうな考へをもとボルツァノ Bernhard Bolzano 1718 - 1848 の Wissenschaftslenhre 1837 から受け継いだのであるが、ボルツァノはそれを命題自体 Satz an sich とか真理自体 Wahrheit an sich とか呼んだ。とにかく我々の精神現象は、単なる心理的出来事には尽きず、何かの意味なり、価値なりを志向してゐる。そのことは感情や意志についても同様である。感情は何かを喜んだり、悲しんだりするのであり、意志は何かを求めてゐるのである。さてもしこのやうに、総じて精神現象には両面があり、しかも時間的、心理的な一面を通じ、それを超えて永遠な意味や価値を志向するといふ他の一面を本質的に有つならば、認識論は単なる心理学には止り得ないことは当然であらう。認識論が心理学とは別に可能であり、必要である根拠はここにある。

尤も認識論の可能と必要といふことに対しては、反対論もある。

例へばヘーゲルは、カントから出たのではあるが、エンチクロペディの中でかう云つてゐる。「しかし認識についての考察は認識によつてでなければ行ひ得ない、この認識と呼ばれる所謂道具については、それを考察することはそれを認識することを意味する。しかし認識する以前に認識しようと欲することは、……自ら水に飛び込む以前に、水泳を学ぶことと同じく矛盾したことである、」と。しかし認識論とは認識する以前に認識とは何かを研究しようとするものではなく、認識の存在を前提し、その上で認識が認識自身を深く反省することなのだから、その限り認識論とは認識の自己反省 Selbstbesinnung として、可能でもあり、必要でもあらう。認識が認識の存在を否定することはそれ自身一つの認識であり、認識が自己の存在を否定することは矛盾である。従つて認識の存在は予め前提されておいてよいからである。

またロッチェは、彼の「形而上学綱要」 Grundzüge der Metaphysik でかう云つてゐる。認識とは知る者と知られるものの関係であらう。しかしかく云へばそこには既に何かのものが存在することが前提されてゐる。従つて認識とは何かを研究する前に、存在 Sein とは何かを明かにすべきである。即ち認識の問題より存在の問題が先であり、認識論より形而上学が先である、と。この批評は一応尤もであるが、しかし認識といふのもある意味では存在であり、しかも我々には身近な存在である。従つて存在を明かにするといふためにも、認識を研究することから始めてよい訳であらう。

また新らしくは、新フリース学派のネルソンは、「認識論の不可能」 Die Unmöglichkeit der Erkenntnislehre といふ小論文で、次のやうに云つてゐる。フリース Jakob Friedrich Fries 1773-1843 といふ人は、カントをむしろ心理主義的に解しようとしたカント学派の人であるが、その流れを今日汲まうとするのがネルソン等の新フリース学派 Neufries'sche Schule である。ネルソンは云ふ。認識論は認識の成立する基礎を論ずるものであるといふが、凡そ論証には何かの前提があり、しかもその前提には更に他の前提がそれを基礎づけるものとして要求され、かくて無限に遡及されてきりがないであらう。従つて論証が成立する為には逆に、何か直接に直観されるものが出発点になければならない。従つて認識論はかかる直観を許さなければ不可能であらう、と。しかしこれは当然のことであり、改めて認識論の不可能といふ程のものではあるまい。

要するに認識論とは、知識が知識自身を対象として研究するものであり、知識の自己反省 Selbstbesinnung として学的に可能なのである。


認識論には色々の立場があるが、真理とは何か、認識の起源とは何か、認識の妥当の範囲は如何、といふ三つの問題が中心であり、それをどう考へるかによつて認識論上の色々の立場が区別されるのである。

一、真理とは何か、真理の概念 Begriff der Wahrheit をどう考へるか。これは認識論の最も根本の問題であるが、それには次の六つが区別される。

  1. 模写説 Abbildungstheorie
  2. 明証説 Evidentztheorie
  3. 批判主義 Kritizismus
  4. 実用主義 Pragmatism
  5. 新実在論 Neo-Realism
  6. 現象学 Phänomenologie

模写説とは、主観が正しく客観を模写したところに、真理は成立すると考へるもの、明証説とは、明晰判明な認識が真理だと考へるもの、批判主義とは、我々の客観的認識は認識主観の先天的形式による綜合によつて可能となると考へるもの、また実用主義とは、有用な認識が真理であるとするもの、更に新実在論とは模写説を洗錬したもの、また現象学は明証説を厳密にしたものである。

二、認識の起源をどこに置くかといふことから、次の三つが区別される。

  1. 経験論 Empirismus
  2. 合理論 Rationalismus
  3. 神秘主義 Mystizismus

認識の起源は経験にありとするものが経験論、合理的な思惟にありとするものが合理論、経験以上の神秘的直観にあるとするものが神秘主義である。

三、認識の妥当とする範囲、妥当の限定をどう決めるかといふことからしても、次の三つが区別される。

  1. 実在論 Realismus
  2. 懐疑論 Skeptizismus
  3. 観念論 Idealismus

実在論とは、我々の知識は真実在を知り得るとするもの、懐疑論とは、我々の知識は真実在を知り得ないとするもの、観念論とは、我々の知り得るのは我々の意識の範囲に止まるとするものである。

第二章 真理の概念

真理とは何であるか。これは認識論の最も重要な問題であらう。しかしこの問題が問題として提出されたのは、比較的新らしいことである。今日の認識論の基礎を置いたカントでさへ、この問題をはつきり自覚して論じてゐたとは必らずしも断言し得ない。

ところが真理をどう考へるかには上述したやうに六つの立場があつた。そのうち最も常識に近い立場は模写説であるから、模写説から話を始めることにしよう。

第一節 模写説

我々の認識作用は意味を含み、その意味を通じて何かの対象を intendieren 〈志向〉してゐる。そこに我々の認識作用は精神現象として単なる自然現象と異る所以のものがある。そのことは上に述べた。ところがそのやうに我々の認識作用はその含む意味を通じて何かの対象を志向するといふ場合、その意味がそれによつて志向されてゐる対象と correspond 〈一致〉することもあり、一致しないこともあらう。従つてその際、一致すれば真、一致しなければ偽と考へることができる。 そしてこのやうに、意味と対象の一致不一致に真理の本質を見ようとするのが Korrespondenztheorie なのである。それはもう少し常識的にはかう云つてよい。即ち、我々の意識は外界の存在を、丁度写真がものを映してゐるやうに、映してゐる、 abbilden 〈模写〉してゐるものである。このやうに外界の模写といふことが真理の本質である、と。これが認識論上の所謂 Abbildungstheorie 〈模写説〉である。従つて Korrespondenztheorie と Abbildungstheorie とは、大体同じものである。普通に多くの人々は――大部分の科学者も含めて――真理といふものの本質を漠然と、このやうに考へてゐるのであらう。しかし真理の本質はそれで十分に説明され得るか。

この考への根柢をなすのは、真理とは主観と客観の一致であるといふ思想である。これは根強い考へであり、カントのやうに新しい考へを提出した人にも、やはりこのやうな考へは多少残つてゐたと云つてよい。しかし思想の真理性は、思想が外界の実在と一致し、それを模写するところに存すると考へる模写説には、大きな矛盾がある。それは次の点を考へてみれば明かであらう。模写説では、真理とは思想と外界の実在との一致に存するといふ。しかし思想が外界の実在と一致し、それを正しく模写してゐるか否かは、我々が予め外界の実在そのものを正しく知つてゐるのでなければ決定し得ないであらう。もし既に我々が外界の実在を知つてゐるなら、その時には我々の思想がそれと合致するかどうかを決定し得るであらう。しかしそもそもいかにして先づ外界の実在を知り得るかが問題なのであるから、模写説は自己が正に説明すべき当のことを、自己の説明のために利用してゐるものとして、矛盾を含むのである。従つてこの矛盾を脱しようとするならば外界の実在との一致といふ思想を棄て、自己の意識内に於て constant relation 〈恒常的関係〉をもつて反復して現はれる観念結合を客観的なものと考へ、それとの一致不一致に真理の標準を置くべきであらう。それなら矛盾にならない。しかしそのやうに考へるなら外界の実在を思想が模写するといふ意味の模写説では既にないのである。

これは模写説には論理上矛盾があることを示した訳であるが、事実上からしても模写説は必らずしも妥当しない。けだし我々が真理と呼ぶものには、歴史的真理、自然科学的真理、数学的真理の三つが大きくは区別されるであらうが、その三つの種類の真理が模写説によつては事実上、十分には説明され得ないからである。

>

イ、歴史的真理――模写説によつて一番説明し易く思はれるのは historische Wahrheit 〈歴史的真理〉であらう。歴史上実際に起つた事件を正しく模写すれば、歴史的真理はそれによつて得られる。例へば何年の何月何日に日蝕があり、また何時何処でシーザーが殺されたかの類である。しかし歴史的真理と呼ばれるものは、単に過去に於て起つた出来事をそのまま忠実に模写し、記述したといふだけのものではあるまい。それは過去の無数の出来事のなかから、歴史的に意味のあるものを選択し、秩序づけたものである。そしてその選択の原理は結局 Humanity 〈人類〉といふものに対して重要な意味があるか無いかといふことであらう。しかし Humanity に対してどのやうな意味を有つかといふことは、単なる模写的関係ではないのである。

自然科学的真理――次に naturwissenschaftliche Wahrheit 〈自然科学的真理〉も事実をありのままに写したものと考へられてゐる。しかし実際に於てはたしてさうであらうか。例へばニュートンは「余は仮説を設けず」 Hypothese non fingo. と云つた。しかし彼の運動の三法則の如きものは、単なる経験的事実ではあるまい。その第一法則の如きも、単に一物体のみが運動する場合には、等速直線運動をなすといふのであるが、これは経験的に実証され得ることではなく、実験不可能のことである。公理であり、仮説である。物理学でいふ「力」の如きものも、単に経験によつて知り得るものではあるまい。キルヒホッフ Kirchhoff は、力学とは運動の単なる記述 einfache Beschreibung der Bewegung であると云ひ、ヘルツ Herz は「力」といふ云はば形而上学的な概念を棄て、力学とは時間、空間、質量のみから組み立て得るとする。しかしそこにも公理的なものがあるであらう。もと自然科学の法則は事実から帰納して得られたものであり、事実を綜合した結果であらうが、帰納とか綜合とかいふ時に、既に何かの Axiom か apriori かが予想されてゐるのである。物理学は実験的方法に依るといふが、実験といふことも何かのアプリオリを予想するのである。要するに自然科学的真理も、単に事実を模写するだけのものではないのである。

ハ、数学的真理――更に mathematische Wahrheit 〈数学的真理〉についてみれば、数学的真理は決して外界の実在と合致するから真理だといふのではない。三角形の内角の和は二直角であるといふことは、現実の三角形を測量した上での結論ではない。点とか直線とかいふ要素と根本のアキシオムから導き出された論理的な帰結であり、事実の真理ではなく論証の真理である。数学的真理は模写説によつては説明され得ない。

大体真理と呼ばれるものは大きくは二つに分つことができるであらう。一つは事実の真理 truth of facts であり、歴史的真理や自然科学的真理はこれに属する。他の一つは永遠の真理であり、数学的真理はそれである。ところが以上に見たやうに、事実の真理も永遠の真理も、模写説では十分に説明されない。従つて模写説はそのままでは採用されない。

第二節 明証説

真理の規準を外界の実在に置かうとする模写説と正反対の立場に立つのが明証説 Evidenztheorie である。明証説は、真理の規準を心のうちに求め、云はば mental eye 〈心眼〉に対し、丁度肉眼に対して物が現はれるやうに、直接に且つ clara et distincta 〈明晰判明〉に Evidenz 〈明証〉をもつて現はれるものが真理であるとするものである。この立場はデカルトによつて始めて明瞭に唱へられ、スピノーザ、ライプニッツと受け継がれたが、カント以後殆ど忘れられてゐた。しかし近年フッセルの現象学によつて復活されてきてゐるのである。

デカルトは彼の Principia philosophiae I. 45. 〈哲学原理〉に於て次のやうに述べてゐる。“I term that clear which is present and apparent to an attentive mind, in the same way as we assert that we see objects clearly, when being present to the regarding eye they operate upon it with sufficient strength.”即ち真理とは数学的真理の如く自明 self-evident なものであり、必然的にかく考へざるを得ない necessary to think ところのものの謂である。真理とは、外界の実在との一致にあるといふよりは、観念それ自身の性質にあり、観念の必然性と明晰判明性にあるといふのである。ではこのやうな明証説で真理の本質は十分に説明がつくであらうか。

イ、数学的真理について―― デカルトは哲学者であつたと共に数学者であつた。そしてデカルト自ら恐らく数学的真理を模範として彼の明証説を立てたのであらう。従つて明証説は確かに数学的真理を説明するのには適切である。数学的真理は公理や定義といふ如き self-evident 〈自明〉のものから出発して厳密に論証し得るものを真理と考へる点が多いからである。

ロ、自然科学的真理について―― しかし自然科学的真理になると既に問題が起つてくる。無論、自然科学的真理についても、明証説で説明できる部分が確かにありはする。自然に関する経験科学も単なる経験的事実の集合ではなく、その根柢をなす根本原理や基本概念にはアプリオリ的な面があらう。従つてそこから出て演繹的に論証される面、及び数学的な処理を許す面については、明証説は妥当する。しかし経験科学はこのやうにアプリオリ的な面を有つと共に、他方に演繹的ではなく、経験的事実に基づく面のあることは否定できない。ではそのやうな経験的事実に基づく面まで、はたして明証説によつて説明し得るか。ここに明証説の難点がある。尤もデカルト学派は次のやうに考へることによつてこの難点を避けようとした。即ちスピノーザ、更にライプニッツはかう考へた。感覚から得られた経験的知識は confused 〈混乱〉した不明瞭な知識である。しかしそれは明晰判明な知識、つまり adäquat 〈十全〉な知識となるにつれ理性的となり、演繹的となり、物理学の如きも mathesis universalis 〈普遍数学〉に還元される、と。しかし物理学は完全に数学化されるか。完全に数学化された物理学は、もはや物理学とは云へないのではないか。少くとも、経験的事実と呼ばれるものには、火は熱い、水は冷い、といつた類の知識が根柢にあらう。それは合理的に説明されるか。これは明証説では解ききれない難点である。

ハ、歴史的真理について―― この困難はライプニッツ自身によつて気附かれてゐた。彼が真理を二種類に分け、 truth of reason 〈理性の真理〉と truth of facts 〈事実の真理〉を区別したのは、その為であつたと云つてよい。理性の真理とは「三角形の内角の和は二直角である」といふ如く、その反対を考へることのできない necessary 〈必然〉な真理であり、事実の真理とは「この花は赤い」といふ場合、この花は赤くなくて青くあつてもよいのであり、そのやうにその反対が考へられ得る contingent 〈偶然〉な真理である。そして歴史的真理は総じて事実の真理に属するのは云ふまでもない。ではかかる事実の真理、歴史的真理は何によつて確立されるか。偶然の真理の基礎は何であるか。それは必然の真理のやうに矛盾律によると考へることはできない。ライプニッツはそれを説明するのに law of sufficient reason 〈充足理由律〉といふものを持ち出した。事実の真理は偶然の真理であるにせよ、全く何らの理由なしに起つたのではない。それには十分の理由がある。ただそれは論理的な理由ではなくして、神の聖なる意志 divine will である。神はこの世界を最良なるものとして選択し、決意することによつて、この世界を創造したのである。事実の真理の基礎をなすものは選択の意志である。それが事実の真理を基礎づける充足理由である。このライプニッツの矛盾律に基づく理性の真理と充足理由律に基づく事実の真理の区別は、従つて一般的には、理性を根本とする真理の意志――選択の意志――を根本とする真理との区別といふことにならう。前者は普遍的、永遠的な真理であり、後者は個性的、歴史的な真理である。そしてもしこのやうに考へることができるならば、明証説は理性の真理を説明することはできるにしても、意志の決定に基づく事実の真理、個性的真理、歴史的真理を説明し得ないことは明瞭である。

以上要するに、明証説は模写説の丁度反対であるから、模写説の説明し得ない点を説明するのには便利であるが、逆に模写説では簡単に説明し得る点を説明し得ないといふ難点がある。そしてこの模写説と明証説の二つを止揚してゐるやうな立場が、カントに始まる批判主義である。

第三節 批判主義

普通に真理とは Objektivität 〈客観性〉を有つた知識の謂であるとされてゐる。即ち客観に合致した知識が真理だといふのである。ところがこれに反し、 Allgemeingültigkeit 〈普遍妥当性〉をもつた知識、即ち何人も認めなければならない知識が真理であり、かかる普遍妥当性の根拠はアプリオリなものにあるとするのが批判主義である。従つて批判主義とは客観性を普遍妥当性によつて説明しようとするものだと云つてよい。これは常識の立場からは一寸理解し難いかも知れないが、認識の問題を考へる上で一度は通過しておかなければならない立場である。

もとカントは若い頃、ライプニッツの学派から出た人である。従つて真理の本質は necessary to think にありとする明証説の立場をとつてゐた。さうした考へ方は後の「純粋理性批判」のうちにも残つてゐて、真理の標準は Notwendigkeit 〈必然性〉と Allgemeinheit 〈普遍性〉の二つであり、しかも普遍性は必然性から説明できる、結局真理は必然性をもつたものだといふ意味のことを述べてゐるのはそれである。しかしカントの立場はもとより単なる明証説ではない。カントは四十代になつてヒュームの書物を読んで啓発された。プロレゴメナでカントが云つてゐるやうに、ヒュームはカントを彼の独断の眼 dogmatischer Schlummer から覚めさせたのである。ではそれはどういふ点にあつたかと云へば、明証説との関係からすれば次のやうに解釈してよいであらう。明証説の立場では、真理とは心の眼 mental eye に明晰判明に現はれてくるものの謂である。しかし私の心の眼にとつて明晰判明に現はれてくるからと云つて、必らずしもすべての人々の心の眼に同じやうに明晰判明に現はれてくるとは限るまい。既にロックもデカルトの innate idea 〈本具観念〉の思想を批評して、現代の知識人にとつて自明な真理と思はれるものも、古代の未開人には必らずしも自明な真理ではあるまいといふ如くである。ヒュームはその批評を更に深めて、我々にとつて必然的にかく考へねばならない necessary to think といふことは、我々の habit 〈習慣〉に基づく belief 〈信念〉にすぎないとしたのである。これは確かに鋭い批評で、各人がそれぞれ必然的にかく考へねばならないといふだけではまだ各人の feeling 〈感情〉の上の事柄であり、未だ真理とはいへない。真理とはすべての人が等しく必然的に認めなければならないものであり、カントはかかる意味の必然性の根拠をアプリオリなものに置いたのである。つまり明証説でいふ必然性は心理的なものであつたのを、カントは論理的なものに深めたのである。カントが事実問題と権利問題を分けた所以もそこにある。ではカントのいふアプリオリとはどんなものか。

カントは「先天綜合判断はいかにして可能であるか」、 “Wie sind synthetische Urteile a priori möglich?”といふことを問題にした。数学や物理学は確実な学問であり、その根本には学問上、何人も認むべき命題や原則がある。それがカントのいふ先天綜合判断であるが、それがいかにして可能であるかをカントは問題にしたのである。カントは、我々の認識は形式と内容とからなり、所与の内容が我々の心に備つてゐる先天的形式によつて構成されることで我々の認識は成立すると考へた。我々の認識の内容をなすものは経験から与へられる。しかしそれだけでは未だ認識にはならず、それが我々の心に備つてゐる先天的形式によつて秩序づけられ、統一されることによつて認識は成立するといふのである。例へば何か赤いものが「ある」といふことを我々が認める時、その赤い内容は経験から与へられるであらう。しかしそれが「ある」といふことは「時間」と「空間」の形式によつて規定されて始めて「ある」と云へるのであり、時間と空間は我々の心に備つてゐる先天的 apriori な Anschauungsformen 〈直観形式〉なのである。しかし自然科学で考へるやうな対象界の認識はそれだけで可能になるのではない。カントはそこに範畴 Kategorien といふものを考へた。範畴とは我々が対象を考へる「型」であり、 Denkformen 〈思惟形式〉だと云つてよい。カントは純粋理性批判の先験的演繹論 transzendentale Deduktion に於て次のやうに説明してゐる。凡そ我々に与へられたいかなる表象にも「我考ふ」“Ich denke ”といふことが伴ひ得なければならない。その「我考ふ」の我は、単に心理学的な我ではなく、認識主観であり、むしろ論理的なものである。カントはそれを純粋自我 reines Ich 先験統覚 transzendentale Apperzeption 意識一般 Bewusstsein überhaupt 等色々に云つてゐるが、とにかくかかる純粋自我に備つてゐる思惟の一定の型、或は思惟の一定の方法が範畴であり、カントはそれに因果性その他十二の範畴を数へた。そして直観形式を通じて与へられた内容が更に思惟形式即ち範畴によつて思惟され、綜合されることによつて純粋統覚 reine Apperzeption に入り、そのやうに純粋統覚或は純粋我によつて纏められることによつて対象として認識されるのである、と。カントが、「我々が直観の雑多のうちに綜合的統一を生起せしめた時、対象を認識する」“Wir erkennen den Gegenstand, wenn wir in dem Mannigfaltigen der Anschauung synthetische Einheit bewirkt haben.”といふ意味もそれであらう。認識するとは、総じてアプリオリによつて対象を構成することなのである。ではかかる立場で、種々なる種類の認識が説明され得るか。

先に真理に、数学的真理、自然科学的真理、歴史的真理の三つがあることを語つておいたが、学問の分類としてはもつと根本的に次の二つに分類することができよう。即ち先天的科学と経験的科学であり、前者は形式的科学と云つてもよい。そして形式的科学は論理学と数学であり、経験的科学は自然化学と歴史学である。ではこれらの科学はカント主義の立場でどう説明されるか。もとカントは「いかにして先天綜合判断は可能であるか」、換言すれば「純粋数学や純粋自然科学はいかにして可能であるか」を問題として出発したのだから、その説明は当然一応可能である。

ⅰまづ論理学について云へば、論理学でいふ自同律、矛盾律等は凡そ我々の思惟のアプリオリとして認めることができる。それは我々の思惟の conditio sine qua non 〈不可欠の条件〉として、それを認めなければ我々の思惟は成立しないからである。尤もこのやうなアプリオリを認めるといふことは、一種の仮定を設けることだとの批評もあらう。しかし新カント派のリッケルトのいふやうに、疑ふといふことも論理の根本法則を認めてのことであるからは、これは疑ふにも疑ひやうのない仮定なのである。

ⅱ次に数学について云へば、幾何学は空間を前提せずには成立せず、算術は時間を前提せずには成立しない。ところが時間と空間は共に直観形式として先天的に我々の心に備つてゐるから、それに基いて純粋数学は可能になるのである。尤も現在の数学は単にこのやうに簡単に基礎づけ得るものではあるまい。しかし論理は数理とどう関係するか。論理の自同律 A=A が数理における 1=1 になるのには、現在有力な立場ではあるが、公理主義 Axiomatik だけでは足らず、やはり何か純粋直観的な内容が必要なのではないか。 Menge 〈集合〉といふ如きものが問題とならう。しかしそれはともかく、純粋数学には何かアプリオリなものが必要なのである。

ⅲ以上は先天的な形式的科学について考へてみたのであるが、では次に内容ある経験科学、即ち自然科学及び歴史学についてはどうであるか。もとカントの頃は歴史学は未だ十分に発達せず、カントの如きも歴史学は厳密な意味での学問とは考へてゐなかつた。従つてカント自身は歴史学の基礎づけといふことは行つてゐない。しかしカント主義の立場から歴史学の基礎づけも可能なので、リッケルトは自然科学と歴史学の基礎づけを次のやうに行つてゐる。我々が普通に事実として与へられてゐると考へるのも、実は単に与へられたままのものではなく、既に所与性の範畴 Kategorie der Gegebenheit によつて構成されたものである。否、もう少し正確に云へば、それに更に時間、空間及び実体性、因果性等の範畴が加つたものが、所謂客観的現実の世界と呼ばれるものである。そこから科学者達は出発する。しかしそれだけではまだ科学にはならない。科学はかかる客観的現実の世界を、更に methodologische Formen 〈方法論的形式〉で処理することによつて可能になる。即ち自然科学は、かかる客観的現実の世界が generalisierende Auffassung 〈普遍化的把握〉を通じて個性化されることによつて成立する。自然科学は価値に無関係に無限に反復され得る法則の樹立を目ざし、歴史学は価値に関はる一囘的な個性の記述を目ざすのである。例へばナポレオンの伝記を書くといふ時、歴史学は英雄一般の共通点をとり出すといふより、ナポレオンの個性を明瞭ならしめることに努めるのである。このやうに法則とか個性とかいふものが、それぞれ自然科学と歴史学の形式なのである。要するに批判主義の立場からすれば、認識するとは対象を構成することなのである。

以上のことを考へてみれば、批判主義が模写説と明証説の二つを越え、その難点を一応克服してゐることは解る。明証説の困難は、その所謂明晰判明なるものが、単に個人個人の心の眼にとつて明晰判明なるに止まるのではないかといふ点にあつたのだが、批判主義では真理とは何人も必然的に認めねばならぬ普遍妥当的なアプリオリなものとされた。アプリオリとは最初に云つたやうに、明証説の考へを深めたものであり、個人個人によつて立場が違ふではないかと反対する時に、既に個人を越えた立場から疑つてゐるのである。大体、我とか汝とかいふ個人の区別は、時間や空間を前提した上で云へることなのである。また模写説の困難は、真理とは思想と存在との合致にありといふが、そのやうな合致を確かめ得るためには、予め存在を知つてゐるのでなければならないといふ点にあつた。ところが批判主義からすれば、対象とは先験統覚の構成によつてできたものである。純粋自我に於ける意識の統一である。ヴィンデルバントはカントの意識一般を Normalbewusstsein 〈規範意識〉と解するのであるが、つまり我々がかく考へねばならないといふ Sollen 〈当為〉である。尤もカントの意識一般を単に規範意識とのみ考へるのは一面的な解釈に止まるが、しかしとにかく対象性の根拠を先験的意識の統一に置くならば、それと合致するかしないかは我々の意識によつて確かめ得るので、模写説に於けるやうに意識外の対象との合致といふことの含む矛盾を脱することができるであらう。

それでは批判主義によつて認識の問題は十分に解決され尽されるか。しかしそこには問題がある。批判主義では形式は主観に備はるが、内容は与へられるといふ。では内容はどこから与へられるか。リッケルトは、所与の範畴による構成以前の直接の状態をベルグソンの純粋経験の如きものと考へるやうであるが、とにかくそこに一つの問題はあらう。またヴィンデルバントのやうにカントの意識一般を規範意識と考へることは、カントの一面を純化徹底したものとも云へるが、それと共に現実の我々の意識に対して単に理想的な意識となり、現実の我々の意識との結びつきが失はれる。更に、カントの立場では物自体 Ding an sich の問題が残される。カントの立場では、認識するとは構成することであるが、それだけにそれ自体に於ける存在といふものは不可知になる。カントは道徳や宗教によつてそれに触れ得るとするのであらうが、認識の立場からは及び得ないものになる。しかも認識にとつても物自体は、それを所与の根源とするにせよ、極限概念とするにせよ、欠き得ないものとされてゐる以上、やはり問題だと云はざるを得ないであらう。このやうに批判主義にも色々な困難があるのであるが、我々の常識的な考へ方に深い反省を与へるものとして一度は通過せねばならないものである。

第四節 実用主義

真理とは人生にとつて有用 useful なものの謂である。その外に別に永遠不変なそれ自体に於ける真理といふ如きものがあるのではない。このやうに主張するのがプラグマチズムである。このやうな考へは古来なかつたのではないが、認識論として明瞭に唱へられたのは近時アメリカに於てであり、プラグマチズムはアメリカで最も盛んである。しかし実用主義的な考へ方を取る人は英国にもあり、また独、仏、伊にもある。

プラグマチズムを最初に唱へたのはアメリカのパース Peirce である。この人は元来自然科学の畑の出の人のやうであるが、科学方法論や認識論についても仲々傑出した考へをもつてゐた。彼は Popular Science Monthly といふ雑誌に一八七八年、 How to make our ideas clear? といふ論文を発表した。その論文の中で彼は次のやうな意見を出してゐる。我々の観念 idea は外界の事物の模写といふ如き性質のものではない。我々の観念は皆な実用的な意味 practical meaning をもつたものである。椅子といへば腰をかけるためのものと云ふ如くである。その際、椅子がどんな形をしてゐるかとか、どんな材料でできてゐるかといふことは、椅子といふ観念にとつて本質的なことではない。大事なのは腰をかけるためのものといふ実用的な意味である。「何々である」といふことは、「何々の目的にかなふ」といふことである。 ‘is’=agreeable to any purpose である。デューヰの言葉をかりれば、観念とは plan of action 〈行動の計画〉である。従つて観念の内容を明かにするといふことは、その観念に従つて行動する時に、その計画が実現され、その目的が達せられるかどうかを見ればよい。実際に役に立つ観念が真理であり、役に立たない観念は虚偽である。パースが、「我々の有つ観念の意味は、行為に対してそれが有する意義にある」、といふ所以である。我々が真理と呼ぶものは、それについて我々が belief 〈確信〉をもつてゐるものの謂であり、確信をもつてゐるとは、それによつて一定の行為の habit 〈習慣〉が樹立されてゐることの謂である。ところが一定の行為の習慣が樹立されてゐるといふことは、それによつて一定の結果が到達され、有用であるといふことであるから、真理とは有用な確信であると云つてよいであらう。ここにパースの実用主義がある。

このパースの考へは、しかし当時にあつては余り一般の注意を惹かなかつた。ところがそれから後二十年、一八九八年にヂェイムスがカリフォルニアの大学でプラグマチズムの講演をしたのがきつかけになり、プラグマチズムが一般に唱へられるに到つたのである。

ヂェイムスは次のやうな面白い例をあげて pragmatic method といふものを説明してゐる。多分ヂェイムスが造つた話であらうが、彼が何人かの友人達と山でキャンプをしてゐた時に実際あつたことだとヂェイムスはいふ。ヂェイムスがキャンプに帰つてくると友人達が二派に分れて熱心に議論をしてゐる。議論の種は一匹のリスで、リスは樹の向う側にゐる。ところがそのリスの背後に廻つて見ようとするとリスは反対側に素早く移つて了つてリスの背後を見ることはできない。議論の種はそこから起つてきた。といふのは一方の人達は、我々はリスの背後に廻つてみることはできないのだから、我々はリスの周囲を廻つてゐるとは云へないといふ。ところが他の人達はリスのとまつてゐる樹の周囲を我々は廻つてゐるのだから、その樹にとまつてゐるリスの周囲を我々は廻つてゐる筈だといふ。丁度両方の人々の人数が同じなので、両方ともヂェイムスを説得して自分達の仲間に入れようとし、それぞれの主張を熱心にヂェイムスに説いて話した。それでヂェイムスはかう話したといふのである。それは周囲を廻るといふことを、実際の行為の上に於てどう解するかで、どちらとも解釈することができる。即ち、廻るといふことが、あるものの前、横、後に位置を占めることを実際上意味するなら、我々はリスの周囲を廻ることはできない。しかしもし廻るといふことが、あるものの東南西北に位置を占めることを意味するなら、我々はリスの周囲を廻つてゐるのである。このやうに実際の行為の上で廻るといふことの意味を決定すべきで、それから離れて to go round それ自身といふ如きものがあるのではない。でなければ言葉の遊戯にすぎない、と。このやうに practically に真理の内容を決定しようとするのが pragmatic method なのである。

ヂェイムスはまた次のやうな例で説明もしてゐる。例へば我々が森で道に迷つたとする。どうしたら人家のあるところまで辿りつき得るか。もしある人がその時、牛の足跡を見つけ、それに従つて人家のあるところまで辿りつき得たなら、彼は目的に達し得た訳であらう。丁度そのやうに我々の知識とは何かの目的を intend してゐるのであり、牛の足跡に従ふやうにその知識の導きに従ふことによつて、その intend 〈意図〉した結果に達し得たなら、その知識は真理なのである、と。

一体、科学でいふ真理といふものの意味にもそのやうな点があらう。オストワルト Ostwald は、 tautomerous といふ化学上の現象について、それは水素が遊離してゐる状態と考へてもよく、或は二つの物が不安定 unstable に結合してゐる状態と考へてもよい。どちらの理論で考へても同じやうに説明がつくなら、どちらの理論をとつてもよく、どちらの理論も同じやうに真理であると云つてゐる。またポアンカレ Poincaré も、物理学上の個々の実験的事実は、それを動かすことはできない。しかし光の現象を説明するのに、フレネル Fresnel の仮説でも説明できるし、マックス・ミューレル Max Müller の仮説でも説明がつくなら、どちらの仮説をとつてもよい。もしそのうちどちらかを特に選ぶ必要があるとすれば、それはその方が説明に一層便利だからに過ぎない、と。即ち真理とは説明の上の有用性である、と。

このやうな考へは、もとミル J. S. Mill 等の、倫理学上の功利主義 Utilitarianism 即ち utility を有つものが善であるといふ考へを認識論に適用し、有用な認識が真であるとしたものであるが、ヂェイムスはそれを自由や神の問題にまで及ぼしてゐる。例へば自由の問題は、それを抽象的に論ずれば際限がなからう。しかしそれを実践的に考へれば後悔といふ事実が示すやうに他の可能性 another possibility があつたことを意味してをり、道徳的に肯定できるであらう。また神とは何かといふことも色々に論ぜられ、未開人の神の観念とキリスト教徒のそれとは異るであらう。しかし神は理論的にその本質を決めるべきものではなく、いかなる神を信ずるかでいかによりよく生き得るかといふ実践的な結果で決められるべきものであらう。

ヂェイムスのプラグマチズムとは大体このやうなもので、真理とは人生にとつて有用か否かで決まるものであり、従つて真理自体といふ如きものはなく、真理は生にとつて相対的であるとするものである。ヂェイムスの死後アメリカでプラグマチズムを代表するのはデューヰで、彼の Essays in Experimental Logic に見られるやうに、彼は彼のプラグマチズムを道具主義 Instrumentalism と呼んでゐる。認識は生のための道具だといふのである。

イギリスのプラグマチズムを代表するのはシルラー Schiller で彼は自分の立場を Humanism と呼んでゐる。著書、 Humanism, Studies in Humanism 等。彼は云ふ。哲学はプラトンによつて堕落させられた。我々はプラトンを棄て、「人間は万物の尺度である」“Man is the measure of all things”と云つたプロタゴラスを重んずべきである、と。即ち彼は人間を中心として真、善、美、等すべてを考へようとするのであり、従つてヒューマニズムだといふのである。彼は、真理の最後の標準は“perfect harmony of all human ends.”であると規定してゐる。尤も彼も単に個人の要求を中心にして考へるのではなく、社会的要求といふものを重んずるのであり、真理の中に生物的に姓名の要求、従つて biological meaning を認めてゐる。

ヂェイムスは、イタリヤのプラグマチストでは Papini が偉いと云つてゐる。フランスのプラグマチストにはカソリック系の人が少くない。科学の真理をプラグマチカルに認めることによつて、カソリックの信仰と調和させようとするのであらう。上述したポアンカレにもプラグマチスト的な一面があるし、ベルグソンにも同様に知識を生命の手段と考へてゐるところがある。フランスのプラグマチストで有名なのはルロア Le Roy である。ドイツにはプラグマチストは割に少いが、イェルザレム Jerusalem はプラグマチストだし、カント研究から出たファイヒンゲル Vaihinger の「かのやうに哲学」 Philosophie des Als-Ob もさうである。

批評。ではこのやうなプラグマチズムについてどう考へるべきであるか。プラグマチズムには一方、確かに聴くべき面がある。それは、プラグマチズムは知識を構成的に考へて、常識的な模写説を破つてゐる点である。デューヰが idea=plan of action と云つてゐるやうに、観念は単に外界の模写ではなく、少くともそこに観念の本質があるのではない。例へば時計といふ観念は、外界にある時計のイメイヂのやうなものではなく、時を計るものといふその機能 function にある。観念の本質を機能的なものだと見るのは面白い。またプラグマチズムでは、真理性とは usefulness 〈有用性〉だといふのであるが、真理と人間生活を結びつけ、真理と社会や文化との関係を注意してゐることも十分に重んじてよい。真理はある意味では確かに人生の要求を満すものなのである。学問が歴史的に発達するといふことも、人生の要求に基いてゐるのである。

ではプラグマチズムはそのまま認め得るかと云へばさうではない。まづ、プラグマチズムでは、真理とは我々の生活にとつて有用なものの謂であるとする。これは認識を手段的に考へ、目的論的 teleological に見るもので、真理と我々との関係に触れてゐる点で意味がある。しかし真理といふものは単に物と我との関係だけで決るのではない。それでは真理の有つ自律性 Authonomie は無視されて、真理は我々の生活といふ目的によつて決定され、その自律性は失はれて他律性 Hetheronomie だけのものになる。しかし真理は物と我々との関係によつてだけでなく、物と物との関係によつて決る。火が四十度で発火するといふことは、我々にとつて都合がよいからといふことで決るのではない。

次にもう一歩つつ込んで考へれば、我々の生活のためといふことが曖昧である。もしその我々の life といふものを、単に生物学的のものと考へれば、我々の有機的生命にとつて便宜なものが真理だとは云へまい。我々が生きるために便利だから真理なのではなく、逆に真理だから我々の生活にとつて有用にされ得るのである。我々の生活 life といふ意味をもう一歩深めて社会生活 social life と考へても同じである。役に立たうが立つまいが、真理は真理なのである。ところが更にもう一歩深めて考へれば、我々には理想を追求する ideal life といふものがあらう。我々の精神生活 spiritual life にとつては、真、善、美、が単に手段としてではなく、目的そのものとして要求されるのである。我々にはヴィンデルバントの云ふやうに「真理への意志」 Der Wille zur Wahrheit がある。マッハなぞの思惟経済説 Denkökonomie の立場からすれば、どのやうな仮説を立てるかは思惟経済の便宜によるといふが、どれが便利かといふことは、単に我々の社会生活にとつてではなく、学問そのものにとつて便利かどうかといふことであらう。また何が人生に有用かといふことでも眼前の便宜から考ふべきではなく、人類永遠の理想といふ点から考ふべきであらう。要するにプラグマチズムは life といふものを漠然と考へてゐる。 life といふものをどう考へるかがプラグマチズムの根本問題であらう。それをどう考へるかで、プラグマチズムも色々になる。人生の要求といふものは、所謂プラグマチズムが考へるよりも、もつと深いところにあらう。しかしプラグマチズムは通俗的、独断的な真理概念を破り、反省を促す点で、我々にとつても十分な意味があると思ふ。

第五節 新実在論

新実在論はプラグマチズムと反対の立場のものであると云つてよい。プラグマチズムでは、真理とは生活の要求から決るといふが、それに対し、それ自体に於て存立してゐる対象を認め、それと対応 correspond する知識が真理であるとするのが新実在論である。従つて新実在論には模写説と類似した点がある。

新実在論は最近アメリカに於てプラグマチズムに慊らずして起つたものだと云つてよい。それには沢山の学者があつて誰を代表として挙げてよいか困難であるが、Journal of Philosophy, 1911 に The Program and first Platform of six Realists. Holt, Marvin, Montague, Perry, Pitkin, Spaulding. といふ論文があり、またこの六人の人々の共同の著作 The New Realism, 1912 といふのがある。これらの人々が新実在論の中心の人々であり、特にペリ Perry は仲々鋭い。ペリはヂェイムスの教を受けた人であるが、 Present Philosophical Tendencies, 1912 といふ書物もある。

イギリスにも新実在論があるが、その由来は少し違ふ。イギリスにはもとバークリ風の観念論があつた外、近年はヘーゲルに基づくグリーンやブラッドリ等の観念論があつた。ブラッドリからヂョアキム Joachim, The Nature of Truth なぞといふ人が出たが、彼の立場は認識論上は Coherence theory ともいふべきもので、真理とは互に矛盾なくどこまでも一貫して関聯してゐる命題の体系だとするものである。つまり無矛盾的一貫性 coherence が真理だといふのである。これに対し、単に矛盾がないからと云つて真理ではなく、客観と合するものが真理だとするのが新実在論である。従つて新実在論はシラーのヒューマニズムにも反対である。その代表者はラッセルである。ラッセルは我国では社会主義の評論家として知られてゐるが、学問上の業績としては Principia Mathematica 等、数理哲学関係のものが大事である。 Philosophical Essays, The Problems of Philosophy, Scientific Method in Philosophy その他多くの著書がある。ムーア G. E. Moore も重要な思想家であるが、倫理学が主である。著書はPrincipia Ethica 等。ここではラッセルの著書によつて新実在論の主張をみることにする。

ラッセルは観念論を批評してかう云つてゐる。観念論の人々は、すべてのものは観念であり、観念として我々の心の中にあるといふ。例へば木といつても観念であり、観念のほかにものはない、と。しかしラッセルに云はせると、そのやうな主張は観念 idea といふ語が含んでゐる二つの意味を区別しないで混同するところにある。その一つは、 the thing, of which we are aware――say, the colour of my table といふ意味での idea であり、他の一つは、 actual awareness itself, the mental act of apprehending といふ意味での idea である。確かにそれはその通りで、私が知覚してゐる私の机の色は赤くあるにしても、それを知覚してゐる私の知覚作用そのものは赤くないからである。これは観念 idea といふものの、対象の面と作用の面とを区別したもので、一応認めねばなるまい。ラッセルはかうした考へをマイノング Meinong の対象論 Gegenstandstheorie から得てきてゐるのであり、イギリスでは珍らしいが、ドイツには前からあつた考へである。ではラッセルはこのやうに作用から独立した対象の存立を認める立場で、認識の問題をどう考へてゐるか。

ラッセルは心理といふものが考へられるのには、次の三つの条件が必要であるといふ。

  1. 真理にはその反対、即ち誤謬の可能といふことがあり得ねばならない。
  2. それについて真偽が論ぜられるのは、我々の信念 belief についてである。
  3. 真理とは我々の belief が外界に於て存立してゐる関係と一致するといふことである。

ではそれはどういふ意味であるか。真理を十分に説明し得る立場は、逆に虚偽をも説明し得る立場でなければなるまい。真理と虚偽との対立を単に相対的にほか説明し得ない立場、例へばプラグマチズムの如きは、認識論としては不十分である。これが第一の点である。次に第二の点は、真とか偽とかいふことは、我々の信念 belief 詳しくは我々の陳述 statement について語られる性質であり、信念或は陳述の predicate であるといふことである。そのことは、例へば Redness is truth. といふやうなことが無意味であることからして明瞭であらう。信念とは relation to an object であり、かかる我々の対象に関する覚知の作用が真であつたり、偽であつたりするのである。ではどういふ場合に真偽が生ずるかといへば、それを説明してゐるのが第三の点である。ラッセルはシェイクスピアの次の句を引いて説明してゐる。 Othello believes that Desdemona loves Cassio. 真偽がそれについて語られるのは、 Desdemona loves Cassio. といふオセロの belief についてである。ではどういふ場合に真理であるかといへば、「デスデモナがカシオを愛してゐる」といふオセロの信念に対し、客観的にそれに対応する関係が成立してゐる場合である。ところが客観的に成立してゐる関係といふものには、少くとも二つ、正しくは三つの項が必要である。 Desdemona, love, Cassio の三つである。その三つのものの関係に、オセロの信念が合する時は真理、合致しない場合は虚偽である。しかももし、その三つが一つのものになつてゐる場合、即ち Desdemona と love と Cassio の三つが Desdemona's love for Cassio といふ単一なものにされてゐる場合、それはそれだけでは真でも偽でもない。つまり真とか偽とかは、我々の信念が外界の実在的関係と合致するかどうかで決るとするのが、ラッセルの新実在論であり、従つて模写説と類似する。

尤もラッセルのいふ外界とは、普通に考へられる外界よりも意味が広い。普通に外界と云はれるものは、時間と空間によつて成立する world of existence であらう。しかしラッセルはその他に world of universals を考へてゐる。それはプラトンのイデヤの世界の如きものであり、意味の世界、理想の世界であると云つてよい。所謂物の世界は exist するのであるが、意味の世界は subsist する。しかしどちらも mental act から独立した客観界、外界なのである。数学の対象界もこのやうな world of universals に属するのであり、従つてかかる普遍者の世界との合致で、数学上の真理といふものも考へられるのである。

ラッセルの新実在論はこのやうなものであり、普遍者の世界、意味の世界を認める点で古い模写説とは大分に違ふ。しかし真理の標準を対象との合致に置く点ではやはり模写説的である。従つて模写説と同じ困難が起る。つまり、対象との合致を論じ得るためには、既に予め対象を知つてゐなければならないといふ矛盾である。もしこれに対し、対象の世界は意味の世界だから予め知られ得ると云つて答へるなら、それは批判主義でいふアプリオリと同じものとなり、批判主義の方がよりよく認識の問題を説明し得るであらう。またラッセルのやうに exist してゐる world of facts の外に subsist してゐる world of universals を認めるといふ考へを徹底すれば、前者の可能の根柢に後者を認め、前者を後者によつて構成されたとする批判主義に近よるであらう。またラッセルのいふ mental act は単に心理的なもののやうであるが、それもよく考へればカントの純粋自我の如きものに接近するであらう。新実在論は対象の客観性を重視する点はよいが、認識論としては不十分である。

第六節 現象学

最後に、最近ドイツで盛んになつてきた現象学 Phänomenologie について、簡単な説明をつけ加へておかう。これは現在フライブルグにゐるフッセル Husserl の立てた学説である。

彼は次のやうに考へてゐる。我々がものを見る時、必らず何かの立場から見てゐる。例へば物理学者は物理学の立場から世界を見てをり、芸術家は芸術の立場から世界を見てゐる。つまり何かの態度をとつて世界を見てゐる。フッセルはこのやうな立場なり、態度なりのことを Einstellung と呼んでゐる。このやうに何かの Einstellung をとるのが普通のものの味方である。

ところが現象学の立場はそれと違ふ。それはむしろ立場のない立場であり、このやうな立場をすべて棄て去り、現象するものをその現はれるままの姿に於て見るのである。すべての立場を ausschalten 〈排除〉し、 reines Bewusstsein 〈純粋意識〉の立場に帰つて、現はれるものを現はれるままに schauen 〈直視〉するのである。その時始めて何人も認めねばならない現象の本質 Wessen が見られる。このやうにして現象の本質を見て行かうとするのが現象学的方法 phänomenologische Methode である。例へば机を見るといふ時、机は一つの像 Bild, image として現はれてくる。そしてそれを物理学の立場から考へればエレクトロンの集合に見えるだらうし、化学の立場から考へれば化学的成分からの化合物に見えるであらう。しかしそれは机をありのままに見ることではない。机をありのままに見ることは、現はれてくる机の像 Bild をそのままに見て beschreiben 〈記述〉して行くことである。このやうな現象学的な立場から、我々の意識現象や自然現象の本質も明かになつて行く。そこからフッセルは綿密に意識と対象の関係や構造を分析してゐるのであるが、それは省く。とにかくフッセルは、そのやうに純粋意識に現はれてくるものが、ありのままの現象であり、それがすべての学問の基礎であり、それぞれの学問はそれぞれの立場からこの直接に現はれてくるものを見て行くものであると考へるのである。

ではこのやうな立場から真理といふものがどう考へられるかといへば、やはり一種の模写説に類するものになるであらう。フッセルは意識とは常に intentional 〈志向的〉なものである。何かの対象を intendieren 〈志向〉してゐる。直観によつて与へられた対象を志向してゐる。そしてその志向作用が充実されるのが真理だといふ。従つて彼の立場はやはり模写説的だと云つてよいであらう。尤もフッセルはもとブレンタノとボルツァノなぞから出た人であるから、一方模写説的であると共に、他方むしろ明証説を新しく復活させた人だと云つてもよい。フッセルの著作は Logische Untersuchungen や Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie であり、 Sein und Zeit を書いたハイデッガー Heidegger は彼の弟子である。

以上、真理といふものをどう考へるかといふことについて色々の立場の話してきたが、ここで纏めて私の考を一寸云つておく。

最初に話した模写説や明証説は、現在それをそのまま採用してゐる人はない。模写説は矛盾に陥るし、明証説はそれを純化すれば批判主義に近よつてくる。またプラグマチズムは真理を人生への有用といふことで説明するが、人生の目的といふことをどう解するかで批判主義に近よるし、新実在論も意味の世界といふことを徹底すればやはり批判主義的になるであらう。従つて現在最も重要な立場は批判主義だと云つてよい。では批判主義で十分かと云へばさうではない。それには根本的には次のやうな点が問題になる。

第一は実在との関係である。模写説は、真理の実在を模写と考へた。ところがそれが矛盾に陥るところから批判主義は認識を構成と考へた。無論単なる模写説は維持し得ないが、しかし実在との関係を無視してよいか。カント学派、特に西南学派のリッケルトなぞは、認識の客観性の根拠をアプリオリな形式に置く。カント学派には他にコーヘンに始まるマールブルク学派があるが、それには触れないでおく。このリッケルト等の考へは、論理や数理にはそのまま妥当するであらう。尤もそこにも既に問題があらうが、さう考へておく。しかしもし数学の命題が物理学で考へる対象界に適用され得ないものなら、それは形式的に真理であるとしても、現実の実在とは関係のない夢のやうなものとなり、知識に遊戯であらう。これに反しカント自身はもつと内容の面を重んじた。彼が、「内容なき思惟は空虚であり、概念なき直観は盲目である」といつてゐるのはそれである。彼は単なる純粋概念だけでは客観的認識は成立せずとし、経験的直観を通じて与へられる内容との結びつきを重視した。物理学的な客観認識は単に論理的に矛盾がないといふことによつて成立するものではなく、先天的形式が内容に結びつくところ、即ち内容によつて restringieren 〈制約〉されるところに成立するのである。それは現実との結びつきだと云つてよい。新カント派の人達は、カント自身十分に注意してゐるこの点を、軽く見すぎてゐるのではないか。現在有力なのは新カント派と現象学派でありが、現象学派はこの点を補ふものとも考へられる。新カント学派でもヴィンデルバントの方がリッケルトよりも具体的で、我々の認識は何かの形式で真実在の一面を組みたてて見てゐるものである。従つて真実在の全体との結びつきが失はれてならないとするヴィンデルバントの teleologischer Kritizismus 〈目的論的批判主義〉の方が穏健であらう。しかしそのやうに考へて行けば、ベルグソンの所謂純粋持続のやうなものが根本に考へられなければならなくなるのであるが、批判主義では認識と実在との関係が十分に考へられてゐないといふべきであらう。では真実在をどう考へるかといへば、これは形而上学の問題である。

第二に問題となるのは、知るといふことそれ自身についてである。従来の認識論では、知るといふこと自身が深く考へられてゐない。批判主義では知るといふことは形式による構成であるとか、主観による綜合であるとかいふ風に考へられる。要するに認識とは主観の働きであり、作用は Akt である。しかし働くとか、作用するとかいふことが知るといふことであらうか。我々は働くものを知るのであるが、知るといふこと自身ははたして働くことであらうか。認識を働くことと考へるのには、根本に於て問題があるのではないか。知るものは働くものをつつんだものである。知るとは特殊 das Besondere を普遍 das Allgemeine の中に包摂 subsumieren することではないか。これだけを一寸云つておく。

第三章 認識の起源

我々がものを知るといふ時、知る働きにも色々と考へられる。感覚とか知覚とかを基とし経験によつて知るとする人もあり、理性を基とし思惟によつて知るとする人もある。大体、認識とは真なる知識の意味であらうが、真理を知るのは経験 Erfahrung によつてか、思惟 Denken によつてか。ここに認識の起源 Ursprung der Erkenntnis, origin o knowledge の問題がある。認識論の問題としては「真理とは何か」が、根本の問題であるが、その問題はむしろ後に起つたので、歴史上最初に問題になつたのは認識の起源の問題である。近世初期、ロックによつて始めて認識論が組織的に論ぜられたのであるが、ロックの問題は主として認識の起源の問題であつた。

認識の起源をどう考へるかによつて、次の三つの立場が区別される。

  1. Empirismus
  2. Rationalismus
  3. Mystizismus (Intuitionismus)

経験論とは認識の起源を経験にありとするもの、合理論とは思惟にありとするもの、神秘主義とは普通の経験や思惟以上の一種の神秘的直観にありとするもの、従つて神秘主義は直観主義と云つてもよい。

第一節 経験論

経験論といふものも色々に考へられるが、総じて云へば、我々の認識の根源は感覚 Empfindung, sensation にあるとするものである。即ち知識は外から与へられるもので、外界に関する知識がすべての知識の基であり、他の知識はその影の如きもの、従つて我々が真に知らうと思へば感覚にまで還つて見ねばならぬとするものである。

ギリシャでこのやうな考へを最初に唱へたのはプロタゴラス Protagoras で、プラトンはプロタゴラスを反駁してゐるのであるが、プロタゴラスの考へでは知識はすべて感覚から起る、感覚は主観と客観が相合ふところに生ずる、といふのである。今日の経験論の基となる人は、イギリスのジョン・ロック John Locke 1632-1704 である。近世の始に於て我々人間の思想が宗教的束縛を脱し、自らの内に返つて真理の根源を求めた時、そこに二つの根源を見出した。一つは理性 ratio, reason, Vernunft であり、一つは経験 empirie, experience, Erfahrung である。前者から出発するのがデカルトに始まる大陸の合理論であり、後者から出発するのがベイコンに始まるイギリスの経験論である。ベイコンは今日の帰納法の樹立者である。そしてこのやうな立場から認識論の体系をたてたのがジョン・ロックである。彼の著作 An Essay concerning Human Understanding, 1689-1690 は経験論の基礎を置いたものである。ロックからバークリ George Berkley 1685-1753 やヒューム David Hume 1711-1776 が出た。ヒュームは最も鋭い。

ロックの著書は、デカルトやケンブリッヂ・プラトン主義者 Cambridge Platonists 例へばカッドワース Ralph Cudworth 1617-1685 やモーア Henry More 1614-1687 等が、人間には経験によらない先天的知識がある。本具観念 innate ideas があるとしたのに反対したものである。ロックはかう考へた。我々の心には生れながらに具つてゐる先天的知識、即ち本具観念といふ如きものはない。数学上の真理にせよ、道徳上の原理にせよ、生れながらに我々の心に具つてゐるといふ如きものではない。未開人にとつては現在数学上の公理と考へられてゐるものも自明なものではなく、数の観念からして我々のそれとは違ふであらう。また何を善、何を悪と考へるかといふことも、時代により、人種によつて違ふであらう。もし本具観念といふものがあるなら、それは生れながら万人に共通に具つてゐる筈であるが、そのやうなものがないところを見ると、本具観念といふ如きものはあり得ない。では我々の知識はどこから起るかといへば、それは感覚 sensation を通じてである。我々の心はもと白紙 tabula rasa の如きもので感覚を通じてぐゎいかいの印象 impression が与へられる。それがロックのいふ単純観念 simple ideas で、単純観念が結合されたり、比較されたり、抽象されたりして複合観念 complex ideas 即ち 概念 concept が生ずる。従つて我々の知識は畢竟感覚に基づくとするのである。尤もこのやうに心を白紙に擬へる考へ方は古くからあつたので、プラトンもテアエテトスに於て、心を蝋の如きものに比する考へを批評してゐる。即ち心とは青来たれば青を現じ、赤来れば赤を現じ、しかも心そのものは青くも赤くもない。これは極めて深くも解釈され得るのであるが、それには立入らない。しかしとにかくロックは心を白紙の如きものと考へ、外部経験 outer experience 即ち感覚を、我々の知識の最も重要な源泉と考へたのである。ではロックはその考へで押し切つたかといへばさうではない。彼は同じく経験ではあるが外部経験とは異る内部経験 inner experience といふものを認め、それは反省 reflexion によつて与へられるとした。即ち彼は、我々の経験的知識は sensation と reflexion の二つから成ると考へたのである。これは一方から考へれば当然のことなので、例へば二つの単純観念が等しいとか異るとかいふ論理上の関係、或は大小といふ如き数学上の比較は、単に外部的な感覚によつては知られず、内部的な反省を俟つて始めて可能だからである。しかし他方から考へれば、経験論としては不徹底だとも云へる。何故かと云へば、我々は眼で色を見、耳で音を聞くといふ。しかし眼が見るのでもなく、耳が聞くのでもなく、見たり聞いたりしてゐるのは心である。しかも心に二つはなく、心は一つでなければならない。してみればロックのやうに外部経験と内部経験の二つを区別するのは不徹底で、すべては心のうちからとするか、すべては心の外からとするかのいづれかであらう。ロックを受け継いだバークリが esse = percipi としたのは前者であり、ヒュームがすべては impression からとしたのは後者である。そして経験論としては、すべては感覚 sensation からであるとするのが徹底したものであらう。経験論は徹底すれば感覚主義 Sensationalism となる。事実、歴史もそのやうな発展を示してゐるのである。

ロックの経験論はヴォルテール Voltaire を通じてフランスに入り、その政治理論はやがてフランス革命にも影響を及ぼすのであるが、認識論上にも重要な発展を遂げた。それがコンディヤック Condillac 1715 - 1780 の感覚主義 Sensationalisme である。ロックのいふ感覚 sensation は本来それぞれが単純 simple でばらばら detached なものの筈であらう。瞬間瞬間の感覚はさうしたものとも考へられる。コンディヤックはこのやうな atomistic な感覚をすべての知識の基礎と考へた。彼は次のやうな例をあげてゐる。大理石で造つた人間を仮定し、それに嗅覚から始めて色々な感覚を与へるとする。するとその大理石の人間はより強い感覚に注意を向けるやうになり、更にそれについての記憶が起り、やがてそれを比較し、判断するやうになり、かくて思惟が生ずる、と。つまり感覚を色々と積み重ねて行けば結局思惟が生ずるといふのである。著書、 Traité des sensations, 1754.

経験論はその後段々と発展して純粋経験論に到つてゐる。純粋経験と云つても色々に考へられる。マッハ Ernst Mach 1836 - 1916. Die Analyse der Empfindungen も一種の純粋経験論であるが、これは感覚を基礎とするものであり、感覚はその純粋な直接状態に於ては主観客観を越えたものであり、物とか心とかは、そのやうな感覚が異る関聯に入ることによつて生ずると考へる。即ち、物も心も感覚の寄り集りだといふのである。これに対しヂェイムスの純粋経験は更に一歩進めたものと云つてよい。彼は自分の純粋経験の立場を、ロック等の経験論と区別するために、根本的経験論と呼んでゐる。ヂェイムスは意識の流 stream of consciousness を説き、意識の直接状態は流動的のものだと考へる。ロック等は意識に直接与へられてゐる感覚を、ばらばらな塊りのやうに考へる。云はば名詞的に考へる。ところがヂェイムスは、我々の意識に直接に与へられてゐるものは個々の感覚のやうなものではなく、同時に関係 realtion を含んだものと考へる。 on, from, to 等、前置詞的、接続詞的なものを含んだものと考へる。このやうに流動的、連続的なものが、意識の直接状態であらう。ベルグソンの純粋持続 dureé pure とか、純粋所与 donneé pure とか、内的所与 donneé interne とかいふものはそれである。事実、ヂェイムスの考へにはベルグソンに通ずるものがあつたのであり、ベルグソンの「意識の直接与件」 Essai sur les donnéss immédiates de la conscience ――所謂「時間と自由」――を世界的に紹介したのはヂェイムスであつたのである。経験論は徹底すれば純粋経験論となり、流動的、能動的となる。ばらばらの感覚の如きは直接に経験されたものではなく、純粋持続が反省されることによつて取り出された思惟の所産である。

批評。経験論にも以上のやうに色々あるが、まづロック流の経験論についての批評から始めよう。ロックのやうに我々の経験は simple and detached な感覚から成立すると考へれば、結局コンディヤックの立場になる。ではコンディヤックの立場で認識の問題が解けるかと云へば、思惟 Denken がどうして成立するかといふことが説明に困難である。例へば赤と青が違ふといふ判断はどうして成立するか。まづ赤い色が現はれ、次に青い色が現はれる。青い色が現はれた時、赤い色は既に消えてゐる。もしそのやうな場合、赤と青とが違ふといふ判断が下されたら、赤い色は既に消えてその記憶が残つてゐるだけだから、赤の色の記憶と青の色の感覚が比較されてゐる訳で、従つて単に赤の感覚と青の感覚が並存するといふことで、両者の相違についての判断が成立するといふ訳ではなからう。或は一枚の紙を、中央から右を赤、左を青に染め分け、それを同時に見るとする。その時、赤と青とが同時に目に映つてくるであらう。しかしそのやうな passive な態度では、赤と青とが違ふといふ判断は起つてきまい。そこには両者を比較するといふ active な態度が加つてきてゐるのでなければなるまい。経験主義の人は 聯想 association といふやうなことで説明しようとするのであらうが、プラトンが古く教へてゐるやうに、同一とか差別とかいふことはアプリオリなもので、単に聯想といふことでは説明が困難であらう。総じて論理や数学の命題は単なる経験論では説明がつきかねる。ミルはイギリス経験論の最後の人であり、その System of Logic は功績のある書物であるが、彼は数学上の命題をも経験から説明しようとし、例へば平行線の公理も、何人もかつて並行した直線が交つてゐるのを見たことがないといふことに基づけようとする。しかしこれでは説明になるまい。数学的真理の有つ必然性は、単なる経験的事実からは説明はできない。思惟するとか判断するとかいふことは、単に受動的なものではなく、能動的なものなのである。

そのことはコンディヤックからメン・ド・ビラン Maine de Biran 1766 - 1824 が出てきたといふことでも解る。この人は従来余り注意されてゐなかつたが、段々とその重要さが認められてきた人である。貴族の出で、多少政治なぞにも関係したが、深い哲学的な思想家であつた。専門の哲学教授ではなかつたが、彼の Journal intime なぞ、人間といふものをよく見てゐる。彼はもとコンディヤックの感覚論から出発したが、彼の劃期的な著書「習慣論」 Surl'habitude に於て主意主義に転じた。彼は我々の感覚を、習慣に対する関係で二種類に分けてゐる。 impressions passives と impressions actives とである。我々が普通に感覚と呼んでゐるのは前者即ち受動的感覚で、これは反復され、習慣的となればその印象が段々と弱くなつて行く類のものである。最初甘いと感じた砂糖の甘さも、慣れればそれ程甘いとも感じなくなり、また最初耳について河の流れの音も慣れれば気にならない如くである。ところがそれに対し、反復し練習することによつて鋭くなる感覚がある。それが後者即ち能動的感覚で、例へばピアノを練習することで音の区別が正確になるとか、或はテニスをやり始めた時は手をどう働かしたらよいか解らなかつたのが、少し慣れるとさうした筋肉感覚 sensation musculaire が段々と明瞭になるといふ類である。射撃とか、総じて技術に伴ふ感覚はかうしたものであらう。では受動的感覚と能動的感覚とその二つについて、どちらが我々に直接な感覚かと云へば、無論能動的感覚であらう。我々が自己を感ずるのは能動的 actif にであり、何か運動感覚のやうなもの、もう少し深く云へば意志の感覚のやうなものに於て自己を直接に感じてゐるのである。ビランはそれを l'effort volontaire と呼んだ。それがつまり自我であり、 volonte moi である。真の自我とは能動的なものである。かくてコンディヤックの感覚論は感覚といふものを深く考へて行くことによつて、ビランの主意説 volontarisme に達したのである。真の感覚は能動的なものであり、ロックやコンディヤックが考へたやうに受動的なものではなないのである。今日のベルグソンの考へは、ビランに由来するところがあると云つてよい。

では次に純粋経験論についてはどう考へるべきであるか。単なる経験論は関係 relation の意識がどこから生ずるかを説明し得なかつた。これに対し、ヂェイムスの根本的経験論は on, before, with 等々の関係の意識も直接に与へられるものとし、意識の流の立場からこれを説明しようとした。これは確かに経験論としては徹底したもので、ベルグソンの純粋持続にまで到るべきものであらう。しかあいジェイムスは、関係の項も関係それ自身も、同じ意味で与へられるとした。だがしかし個々の感覚とそれを結合する関係は同じ次元のものではなく、次元を異にするのではないか。後者の方が前者よりも高い次元のものではないのか。結合するとか関係づけるとかいふ以上、結合し、関係づける意識は、結合されるものに対し、より高次のものである筈であらう。ベルグソンはヂェイムスを更に一歩進めたものであり、彼の純粋持続は一瞬の過去に帰ることもできぬ流動的なものであらう。確かに意識の直接の状態はそのやうなものであらう。それが生きた時間である。しかしもしそれだけだとするなら、そこからどうして非時間的、論理的な知識が成立し得るか。ベルグソンは純粋持続の緊張の傍らに弛緩が伴ふとし、それから説明しようとする。しかし緊張からいかにして弛緩が生ずるか、そこには問題があらう。要するにカントが云つたやうに、すべてはmit der Erfahrung 〈経験と共に〉であるとしても、だからと云つてすべては aus der Erfahtung 〈経験から〉ではない。数は物を数へることから成り立つであらうが、数学的知識の成立する根源は単なる経験ではない。知識の発展の順序と真理の根拠の問題とを混同することは誤りである。ここに経験論の外に合理論が考へられる所以がある。

第二節 合理論

経験論と丁度反対の立場に立つのが合理論である。経験論では我々の知識はすべて感覚を通じて外から与へられるとするに対し、合理論では真の認識は理性により内から与へられるとするのである。

このやうな合理論の基礎を置いたのはギリシャのプラトンである。プラトンは単なる合理論者ではないが、合理論の基礎はプラトンにあると云つてよい。プラトンは我々の知識を二つに分けた。一つは αἴσδησις 即ち知覚によるものであり、一つは ἐπιστήμ 即ち理性によるものである。彼は真理といふものは永遠不変のものでなければならないと考へた。ところが感覚から得られた知識は人により、時によつて異り、可変的であり、永遠不変のものではない。従つて真の認識ではない。テアエテトスでプラトンがヘラクレイトス風の考へを否定するのもその為である。してみれば真の認識は理性を通じて得られるのでなければならない。理性が自分の中から真理を見出してくるのでなければならない。ではどのやうにしてであるかといへばプラトンはイデヤの想起 Anamnesis, Wiedererinnerung といふ考へを持ち出す。プラトンの想起説は色々な対話篇で述べられてゐるが、その代表的なものはプファイドンであらう。我々の判断的知識は決して単なる感性的経験から生ずるものではない。例へば二つのものが同一 Gleichheit であるといふことはどうして知られるか。それは単なる感性的経験に依るのではなからう。一体、我々は本当に同じものを見たことがあるか。我々は本当に同じものを見たことはない。しかしそれにも拘はらず我々は同一性といふことを知つてをり、それによつて二つのものが等しいとか、異つてゐるとか判断するのである。今日の言葉でいへば同一性といふイデヤは範畴 Kategorie だと云つてよい。我々は単に感覚を通じてものを知るのでなく、イデヤを通じてものを知るのである。道徳上の事になると、――プファイドンはそれに触れてはゐないのであるが――そのことは一層明瞭であらう。例へば我々はある人間を人間として不完全だといふ。しかし何人も完全な人間を見たことはあるまい。しかもある人間を不完全であるとか、人間らしくないとかいふ以上、完全な人間とか、真に人間らしいとかいふこと、即ち人間のイデヤを何かの仕方で知つてゐる筈であらう。ではどのやうにしてイデヤを知つてゐるのかといへば、それがプラトンのいふ想起なのである。我々の魂は肉体といふ牢獄に閉ぢ込められる前にそのイデヤそのものを見てゐた。それが肉体といふ牢獄に閉ぢ込められた時、即ち感性界に生れてきた時、イデヤを忘却した。しかし感性界に於てそれに類したものを見ることによつてイデヤを想起するのである、と。このプファイドンといふ対話篇はソクラテスが毒を仰いで死ぬ時のことを描いてゐるものであるが、魂はもとイデヤを見てをり、イデヤと同じやうに永遠不滅の性質のものであるから不死のものであり、もとイデヤの世界から来たものである、従つて肉体が死ぬことは却つて肉体の牢獄の束縛を脱し、イデヤの世界に帰ることであるとし、ソクラテスが従容として死についたことを讃へたものなのである。このアナムネシスの考へは神話的に語られてはゐるが、真の認識は魂の内面から出るものであることを語つてゐるものであらう。我々の認識といふ方からすればイデヤの想起であるが、物の性質といふ方からすれば、ものがある性質を有ち、赤いとか青いとかいふことも、ものが赤や青のイデヤを participate 〈分取〉してゐることによつてしかるのである。これがプラトンのイデヤ論である。

このやうなプラトン主義は中世を通じアリストテレース主義と並んで行はれてきたのであるが、イタリアのルネサンス哲学で改めて盛んになつた。カンパネルラ Tommaso Campanella 1568 - 1639 は太陽の国 Civitas Solis といふ理想国を描いてゐる人であるが、彼はすべての認識は心から生ずる、心の中を見れば世界を知り得るといふ風に考へてゐる。デカルトの本具観念 idea innatae もプラトンのイデヤに類するものであらう。デカルトは神の存在を次のやうにして証明した。我々は自己が不完全なものであることを知つてゐる。ところが自己が不完全であると知り得るのは完全な存在者即ち神を知つてをり、神の観念を有ち、それと比較し得るからであらう。ところが不完全な我々が完全な神の観念の原因ではあり得ないから、神の観念は神からくるのであり、従つて神の観念の原因として神が存在してゐなければならない、と。デカルトは数学的知識を知識の典型と考へる。ところが数学的知識は感覚からは得られないから、それは理性に由来する筈であり、理性に本具的な筈である。これがデカルトの本具観念である。ケンブリッヂ・プラトニストの人々、例へばカッドワースやモーアも、数学的知識は本具的であり、道徳上の善悪も先天的に直観されるとした。本具観念の立場は明証説と結びつき易い。前に述べたやうに、ロックが批評したのは、かうした立場である。

デカルトからスピノーザやライプニッツが出たが、そこにも同じ考へが認められる。スピノーザはエチカの第二部で三種類の認識を区別してゐる。第一種の認識は感覚から得られた知識、例へば馬や牛を見て知つてゐる類である。第二種の認識は概念的な知識、一般的な知識、そして第三種の認識は所謂知的直観 scientia intuitiva であり、我々が神を識るのはこれによる。この第三種の認識はむしろ神秘的直観ともいふべきものであるが、とにかくスピノーザに於ても感覚的知識は不十全 inadequate なものであり、合理的になるほど十全 adequate なものになると考へたと云つてよいであらう。次のライプニッツはある意味では合理主義を最も徹底した人であり、その Nouveaux essais sur l'entendement humain は、ロックの「人間悟性論」を合理主義の立場から逐一批評したものである。ライプニッツはロックが心を白紙の如きものに擬へたのに反対し、心は自分の中から発展すると考へた。丁度、大理石を磨けば美しい文が出る。しかしそれは外から加つたものではなく、中から耀き出たものである。そのやうに心は自分の中から展開して行くものである。スコラ哲学にある言葉のやうであるが、「感性のうちになかつたいかなるものも知性のなかにない」、 Nihil est in intellectu quod non fuerit in sensu. といふ句がある。しかしライプニッツはそれに「但し知性そのものは省く」、 nisi intellectus ipse といふ語を附加へてゐる。即ち知性のなかにあるものは感性のなかにあつたものが明晰判明になつたものなのだが、感性と呼ばれるものも、実は本来知性なのであり、発展すれば知性になるといふ意味である。ライプニッツが、我々が音楽の美を感ずるのは、数学的調和を漠然と感性的に感じてゐることである、といふのもそれであらう。

批評。合理論は経験論の反対であるから、合理論には丁度経験論と逆の困難が起る。経験論では数学のやうな合理的認識がいかにして可能かといふことが説明に困難であつた。その点は合理論ではうまく説明がつく。しかし合理論ではその代り、我々の経験的知識、特に感覚的知識の説明がむつかしくなる。合理論では感性的知識は迷であrとして否定するか、或は不完全な合理的認識であるとして合理的認識に還元するかのいづれかであらう。前者はプラトン的となり、後者はライプニッツ的となる。しかしそのどちらも感性的なものの意味を否定するものであらう。しかしカントが考へたやうに、数学も単に合理的認識ではなく、純粋直観のやうな一種の直観を認むべきであらうし、物理的認識のやうな客観的認識に到れば、どうしても直接の所与といふやうな感覚的なものを省くことはできない。その点、カントのやうに悟性と感性の両方を認めるのが穏当であらう。しかしそれならカントで問題が解けるかと云へば、さうではない。悟性と感性がどうして結びつくかが問題であらう。直接の所与と範畴の関係が問題であらう。それを明かにするためには、両者の更に根柢に立ち入つて考へる必要がある。感覚と概念以前の直観 Intuition にまで遡る必要があらう。即ち神秘的直観を許す神秘主義が問題になるのである。

また次のやうな点も問題にならう。ライプニッツのやうに考へて行けば、感覚的なものも本来は知性的なものであり、発展すれば知性的なものになる筈である。そしてすべては心の中からの発展となる。ライプニッツがモナドには窓がないと云つてゐるのは、すべては心の中からの発展だからである。丁度海辺に立つて浪の音をきく時、普通には一つの浪の音をきくと思つてゐるが、実は無数に多くの小さな浪の音が聚つて一つの浪の音になつてゐる。我々が普通に感覚と考へてゐるものも実は殆んど無意識的と云つてもよい小さな感覚の集合であり、そのやうな小さな知覚のことをライプニッツは微小表象 petites perceptions と呼び、すべての意識はそれからの発展だと考へる。しかしそのやうに考へれば意識はすべて動的、発展的のものとなる。普通に合理主義の立場は主知主義 Intellektualismus の筈であるが、徹底すればこのやうに主意主義 Voluntarismus になるのである。その点、コンディヤックの感覚主義を徹底させれば、メン・ド・ビランの主意主義になるのと同様である。ところがそのやうに動的、発展的なものがどうして知られるかと云へば、やはり一種の神秘主義的な直観によつてであるといふべきであらう。

附。先天説と後天説

以上、合理論とは真の認識は理性的に心の中から起り、経験論はすべての認識は感覚的に心の外から生ずるといふ風に定義した。しかしよく考へてみれば、心の中とか、心の外とかいふことは何を意味するか、曖昧である。またこのやうな考へは色々の誤解を伴ひ易い。それでヴィンデルバントはむしろそれに代へて先天説 Apriorismus と後天説 Aposteriorismus といふ語を使用すべきだとする。前者は、真理の基礎を普遍的真理に置かうとするもの、後者は真理の基礎を個々の事実に置かうとするものである。これは一理ある考へで、デカルトその他合理論者は本具観念と呼ぶにせよ何にせよ、一般的真理を根本とする。これに対し、ロック、バークリ、ヒューム等は個々の直接の所与から出発しようとする。バークリの如きは三角形一般といふ如きものはなく、現実にあるのは個々の三角形であり、二等辺三角形でも不等辺三角形でもないやうな三角形一般はない。三角形一般といふやうな概念は個々の三角形に対する sign であり、 representation であると云ふ。かくて彼の立場は唯名論 Nominalismus となる。そこからヴィンデルバントは認識論の用語としては、経験論と合理論の代りに、 Apriorismus と Aposteriorismus といふ語を用ふべきであり、前者は認識の妥当の問題を、認識の起源といふ心理的問題に化する危険があるといふ。しかしそれはさうであるとしても、アプリオリなものとアポステリオリなものが、どう関係するかはやはり問題であらう。そしてその両者の関係を問題とすれば、その両者の根柢をなすところの神秘的直観の如きものが問題になるのである。

第三節 神秘主義

Mystizismus 〈神秘主義〉といふ語は余り宗教的、神秘的な感を与へすぎるし、また Intuitionismus 〈直観主義〉と云つてもやはり誤解され易い。しかしそれに代る適当な言葉もないから、神秘主義といふ言葉を使ふことにする。

我々の知識がよつて立つ根拠は、普通には感性か理性かのいづれかであらう。前者を主とすれば経験論となり、後者を主とすれば合理論となる。中世では知識の根柢に信仰が置かれたが、近世の始め人文主義者達によつて、知識の根拠がかかる信仰的な外的権威にではなく、人間自身のうちに求められた時、それを感性のうちに認めるか、或は理性のうちに認めるかによつて、経験論と合理論の対立が現はれたのである。無論哲学の立場からすれば、かかる外的権威に知識の根拠を求めることはできないであらう。宗教や芸術では何かの外的権威を認めることは許されるとしても、哲学ではそのやうなことは許されない。それは学問としての哲学の否定である。しかしたとへそのやうな外的権威を認めないにしても、一種の内的権威を認めることは、哲学にとつても許されるのであり、また必要なのではないのか。感性と理性の根柢に、却つてその両者を越えてそれを支へる übervernünftig 〈超理性的〉な mystische Annschauung 〈神秘的直観〉を認めることが必要なのではないのか。神秘的直観と云へば、例へば死者の霊と話をしたり、遠く離れたところで起つた出来事を霊感で知るといふ類の心霊術の如きものが考へられ易いのであるが、さうした非合理的な直観ではなく、感性と理性を越えるといふ意味では übersinnlich 〈超感性的〉且つ、 übervernünftig 〈超理性的〉であるが、感性と理性の根柢をなし、両者共にそれによつて基礎づけられるといふ意味では決して非合理的ではなく、どこまでも経験的なものと理性的なものとを含んでそれを成り立たすやうな超理性的、超感性的な直観が認められるのではないのか。そのやうな意味での神秘的直観が、感性と理性を基礎づける内的権威であり、かかる神秘的直観を我々の知識の根柢に認めるのが、認識論上の神秘主義或は直観主義なのである。

このやうな神秘主義は印度の哲学、総じて東洋思想の最も深い根柢をなすものであつた。仏教に於て、分別知と区別された真知はかかる神秘的直観と考へてよい。これに対し西洋哲学で神秘主義の始めをなす人はやはりプラトンであらう。プラトンはシムポジウム〈饗宴〉に於て愛について論じてゐる。エロス〈愛〉は要するに憧憬であり、永遠の生命にあこがれることである。そしてその究極はイデヤそのものを見ることであり、そこに真の美が見られる。かかる最高の美を見ることは、神秘的直観であると云つてよいであらう。同じ考へはフェドロス篇にも現はれてゐる。プラトンは総じて合理主義的であらうが、深い神秘的直観を認めてゐることも否定できない。プラトンには神秘主義的思想家の一面がある。そのことは今述べたシムポジウムやフェドロスを読めばよく分る。

しかし西洋哲学で神秘主義の元祖といふべきは、やはりプロチーヌスである。プロチーヌスはエヂプトで生れた。大体、 204 - 269 頃の人である。彼の直接の師はアレキサンドリアの神秘主義の思想家 Ammonios Sakkas 175 - 242 であり、彼にはアリストテレース更にストアの人々からの影響もあるが、彼はプラトンの神秘主義の面を発展させた人であり、その故に彼の学派は新プラトン学派と呼ばれる。尤も彼の伝記は明瞭ではない。彼は宗教的に偉大な人物として尊敬されてもゐたのであるが、自分の生れた年月日なぞは人に語らなかつた。彼はプラトンが肉体を魂の牢獄と考へたやうに、肉体を軽蔑し、自分が肉体を有つてゐることをむしろ恥とした。人が彼の肖像を描かうとした時、イデヤの影のまた影を写して何になるかと云つて拒んだといふ伝説が伝つてゐる。彼の著書は彼の弟子 Porphyrius が編纂した Enneaden といふ書物で、六巻からなり、各巻が九編の論文からなりたつてゐるので Enneaden と呼ばれるのである。 Ennead とは九編の論文といふほどの意味である。英訳では Müller のが有名であり、 Otto Kiefer の訳は抄訳だが便利である。仏訳では Bouillet のには詳しい註釈がついてをり、 Bréhier の訳もよい。

プロチーヌスの哲学は新プラトン主義と云はれるやうに、プラトン哲学を発展させたものである。プラトン哲学はイデヤを真実在と考へる Ideenlehre である。ではイデヤ idea とはどのやうなものかと云へば、それは所謂アイディア idea 〈観念〉とは全く異つたものである。アイディアといふ言葉も、もとイデヤから来た言葉であらうが、アイディアといふ時には抽象的な一般概念を意味するのが普通である。例へば白人や黒人に共通な性質を取り出して人間といふ一般概念を作つた場合がそれである。しかしプラトンのいふイデヤはそれと異る。例へば人間といふイデヤについて考へてみれば、それは色々な人間から抽象して得られた一般概念としての人間ではなく、むしろ「あの人は人間らしい」とか、「あの人は人間らしくない」とかいふ場合、その標準となる人間の理想、人間の理念の謂である。誰も真に理想的な人間を実際に見た人はないであらうが、何かの仕方でそれを知つてゐるから、それを標準として「人間らしい」とか、「人間らしくない」とかいふ判断が下せるのである。プラトンのイデヤとは、そのやうな理想的な存在、真実の存在の謂である。プラトンにとつては、イデヤの世界が真実在の世界で、現実の世界はイデヤの影の如き世界である。現実の世界はイデヤを participate 〈分取〉し、云はばイデヤの影を映すことによつて成立するからである。

プラトンはイデヤといふものをこのやうに考へるのであるが、そこに問題がある。プラトンのやうに考へれば、現実の世界のすべてのものはイデヤの現はれであり、あるものが赤く、或は青くあるのは、赤や青のイデヤを分取することによつてである。ところがもしさうであるならば、パルメニデス篇に於てプラトン自身が自らを批評して云つてゐるやうに、人が人であり、馬が馬であるのは、人のイデヤ、馬のイデヤに依るのであるから、現実の世界のすべてのものに対し、無数のイデヤがあるべきことになるであらう。ではそのやうなイデヤの世界そのものはいかにして纏つた一つの体系をなすのであるか。プラトンは Idee des Guten 〈善のイデヤ〉を究極のイデヤ最高のイデヤと考へ、それによつて様々のイデヤが一つの体系に統一されるとした。このやうな考へは、レパブリック篇にも、また後のフィレボス篇にも現はれてゐる。善のイデヤはイデヤのイデヤなのである。ではイデヤのイデヤとはどのやうなものであるか。ここに一つの問題があり、それを深く考へることによつてプロチーヌスの思想が出てくるのである。

けだし個々のイデヤは、例へば赤のイデヤにせよ何にせよ、限定された特定のイデヤであらう。ところがイデヤのイデヤはあらゆるイデヤを統一するものとしてもはや何とも限定できない筈のものである。かうだと云へば既に特殊な限定を受けたイデヤになるから、イデヤのイデヤはもはや何とも云ひやうのないものでなければならない。イデヤのイデヤはすべてのイデヤを超越したものでなければならず、すべての差別を越えてただ単に das Eine ( το ἦν )〈一者〉とほか云ひやうのないものであらう。これがプロチーヌスの一者である。かかる一者は無論感性によつて知られるものでもなく、理性によつて知られるものでもない。超感性的であり、超理性的である。プラトンはヌース即ち理性を最高のものとしたが、一者はヌースによつても知られない。ヌースが知り得るものは、限定されたイデヤに止まる。それを越えた一者は、すべての差別を去つてただ Schauen 〈直観〉され得るのみである。我が我を忘じ去り、我を失つた時、かかる Ekstasis 〈脱我〉の境に於て、一者と瞑合するのである。プロチーヌスによれば、それはアリストテレースの Denken des Denkens 〈思惟の思惟〉をも越えたものである。アリストテレースの神は純粋な理性として思惟の思惟であるが、いかに自己に思惟を自己が思惟するのみであると云つても、そこには思惟された自己と思惟する自己の対立があり、客観と主観の対立がある。しかしプロチーヌスの一者は主観客観の対立をも越えたものであるから、思惟の思惟以上のものであり、ただ直観されるのみのものなのである。禅の悟りの境地の如きものであらう。荘子の斉物論に南郭子の話があるが、それもかかるものであらう。

かう云へば何かいかにも神秘的なことのやうに思はれるかも知れないが、さうではない。私はむしろ極めて平凡な日常的なことだと思ふ。そのことは自分の「心」といふものを考へてみればわかる。我々は自分の心で赤や青を知り、またそれを区別すると思つてゐる。ではそのやうな心とはどのやうなものかといへば、赤が来れば赤と一致し、青が来れば青と一致する。しかも心は赤くも青くもないものである。また心は何時、何処といふやうなことを考へ、あるとかないとかいふことを考へる。しかし心はそのいづれでもない。心は多にして一、一にして多なるもの、動にして静、静にして動なるものである。しかもそのやうな心の存在は否定できない。却つて我々に最も近いものである。理性から心が生ずるとは云へないであらうが、理性の底に心があり、理性は心から出ると考へることはできる。プロチーヌスの一者は、我々に最も身近な「心」といふものを深く考へてみれば、髣髴させることができるであらう。感性も理性も、かかる一者の神秘的直観に類するものの中に、共通の根源を有ち、それに支へられてゐるのである。感性と理性の対立は、それを分析した結果現はれるのである。

プロチーヌスの哲学は Emanationslehre 〈流出説〉と呼ばれる。即ち上述したやうな一者は主観客観の別を越えたものであるが、かかる一者は云はば自ら自己を眺めることによつてヌース即ち理性が生じ、ヌースの内容がプラトンのイデヤである。そしてヌースから更にプシケ即ち心が現はれ、心から更に下つて物質界が生ずるとするのである。即ち光が光源から遠ざかるにつて闇になるやうに、一者から流れ出た光は、次々に光を失ひ、ヌース、プシケ、物質と降つて行くのである。従つてそれは逆には次のやうにも云へる。例へば花が赤くあらうとするのは、赤のイデヤを実現し、赤のイデヤを見ようとしてであらう。そしてそれは究極に於てはイデヤのイデヤとしての一者を見ようとしてであらう。つまり万物は一者を見ようとして動くのである。我々自身について云へば、プロチーヌスは我々の心は二重の力を有つといふ。一つは思惟であり、それによつて我々は自分の中にあるものを見る。また一つは直観であり、それによつて我々は自分以上のものを見る。一者を見、一者と瞑合する。我々の道徳生活は理性に従ふことによつて可能であらうが、我々が一者を見るのは、我々が肉体の繋縛を脱し、エクスターシスに入ることによつてなのである。このやうなプロチーヌスの考へは或は極めて空想的と思はれるかも知れないが、実は却つて最も現実的な意味を有つてゐるのである。

このやうなプロチーヌスの神秘主義はキリスト教の教父哲学に影響を及ぼした。オリゲネスやアウグスチヌスがそれである。オリゲネスはプロチーヌスの相弟子で、共にアンモニアス・サッカスについた人である。アウグスチヌスは実に偉大な思想家でもあり、彼は神はすべての範畴を超越したものであり、従つて何とも名状すべからざるものであるとも云つてゐる。すべて宗教は深く慣れば、このやうになるものであらう。彼はまた「時」は神によつて創造されたものであり、それ故創造以前には時がないとも云ふ。彼は従つて時の範畴に入らない世界、時を超越した世界を認めた訳だとも云へようが、このやうな点にはプロチーヌスの影響が認められる。しかしオリゲネスやアウグスチヌスの根本の考へはキリスト教的である。

ところがプロチーヌスの神秘主義を一層純粋に受け入れた人としては Dionysius Areopagita をあげるべきであらう。ディオニシウス・アレオパギタはパウロと同時代の人であるが、ディオニシウス・アレオパギタの書として伝つてゐるものは実は紀元後五世紀頃の無名のキリスト教著作家がディオニシウス・アレオパギタの名を偽つて書いたものであり、従つて Pseudo-Dionysius 〈偽ディオニシウス〉と呼ばれる。尤も Stöckl なぞは本当のディオニシウスのものだといふが、やはりアウグスチヌス以降のものであらう。 Parker といふ人の英訳がある。彼はかう考へた。我々が神を知るのには二つの道がある。一つは最大の能力を神に帰し、神を全知全能と見ることである。しかしこの道では神の真相に達することはできない。これに対し他の一つの道は、神は善にもあらず、悪にもあらず、最大にもあらず、最小にもあらず、最も賢なるものでもなく、最も愚なるものにもあらず、総じて神を万物の否定として考へるものであり、それによつて始めて神の真相に達し得るとするものである。前者はキリスト教の伝統的な考へ方であり、所謂 affirmative Theologie であり、後者が所謂 negative Theologie 〈否定神学〉である。このディオニシウス・アレオパギタに始まる否定神学がキリスト教に於ける神秘主義の伝統の発端をなすのである。

このディオニシウスの思想を受けついだ偉大な神秘主義者が Scotus Eriugena であり、九世紀頃の人、アイルランドの出のやうである。この人の主要な著作は De divisione naturae といふのであつて、「物の分類について」といふ位の意味である。 Noack の独訳は Über die Einteilung der Natur となつてゐる。彼は実在を四つに分類した。
 1 creans et non creata
 2 creata et creans
 3 creata et non creans
 4 nec creata nec creans
である。第一の「創造して創造されぬもの」とは神であり、神は万物を創造して自らは何ものによつても創造されないものである。第二の「創造されて創造するもの」とは精神であり、精神は神によつて創造され、そして自らも創造するものである。第三の「創造されて創造せぬもの」とは肉体総じて物質であり、物質は自からは何ものをも創造し得ない。第四の「創造されもせず創造しもしないもの」は再び神であり、1と4とは合致する。即ち絶対無限の創造者たる神は、同時に創造もせず、また創造されもしないものであり、即ち矛盾の合致である。エリウゲナのいふやうに motus stabilis 〈静なる動〉であり、 status mobilis 〈動なる静〉である。万物は神から出て神に帰る。1は無限に動なる神であり、4は無限に静なる神であり、しかも1と4とは同一であるがゆゑに、神は動にして静、静にして動なのである。プロチーヌスの一者もかかるものであらう。そしてこのやうに考へられた時、所謂人格的な神の根柢に Gottheit 〈神性〉が考へられるのであり、それが正にプロチーヌスの das Eine 〈一者〉であらう。

エリウゲナに続く偉大な神秘主義の思想家は十三・四世紀に出た Meister Eckhart 1260 - 1327 である。彼はトマス・アクヰナスから出た人であるが、深い神秘思想家であつた。彼は我々の精神力に三つを分けた。
 1 Sinnlichkeit
 2 Vernunft
 3 Übervernunft
の三つであり、1の感性、2の理性のほかに、3の超理性即ち理性以上の力を認めたのである。この超理性は感性や理性の如く独立した能力ではなく、むしろ感性と理性を統一したものであり、我々の心が一つに統一された時、超理性が働くのである。その超理性の働きをエックハルトは Funke 〈火花〉と呼んでゐるが、その火花によつて我々は神と結びつくことができるのである。しかしエックハルトもエリウゲナと同じやうに、所謂神の以前に Gottheit 〈神性〉を置いた。所謂神は悪や不完全に対するものであるが、神性こそかかる対立を越えた真の絶対なのである。尤も彼の所謂 Funke 〈火花〉といふ思想は彼に始まるものではなく、彼より以前に既に scientilla conscientiae 〈意識の火花〉といふ語があり、この考は遠くプラトンにまで遡ることができる。それによつて我々は差別の世界から無差別の世界に入るのであり、その状態が彼の所謂 Abgeschiedenheit 〈離脱、放念〉である。エックハルトには Büttner が近代語に飜訳した Schriften und Predigten, 2 Bde. がある。

エックハルトの思想はその後二つの流派に分れた。一つは die spekulative Mystik 〈思弁的神秘主義〉の方向であり、それに属するものは Suso 1300 - 1365 とか Tauler 1290 - 1361 とかいふ人々である。また一つは die praktische Mystik 〈実践的神秘主義〉の方向であり、神秘的直観に入るために断食なぞをする人もあつた。「神の友」 Gottesfreunde と呼ばれる人々はそれである。オランダの Ruysbroeck 1293 - 1381 はその中でも有名で、メーテルリンクは彼のものを訳してゐる。なほ、著者は不明であるが Deutsche Theologie (Vom vollkommenen Leben) といふ書物があり、簡潔な書物であるが、ルーテルに大きな影響を与へた。 coincidentia oppositorum 〈反対の合致〉を説いたクザーヌスやブルノーにも神秘主義的な一面がある。

最後の偉大な神秘主義者としては Jakob Böhme 1575 - 1624 を挙げるべきであらう。彼は珍らしい人で、 Görlitz といふ町の靴屋の主人であつた。大した学問もしなかつたが、バイブルや Paracelsus 1493 - 1541 の書物なぞを読んだと云はれる。真面目な人で、悪の起源の問題について苦しんだ。神が世界を造り給ふたものならば、悪はいかにして生じたか。ところがある日、錫の器に日光が輝いてゐるのを見て、忽ち年来の疑問が解決し、それからどしどし著作した。 Aurora (Morgenröte) 〈曙光〉を始め多くの書物がある。彼の思想を簡単に知るのには Sex Puncta Theosophica (SIC theosophic points, Sechs theosophischen Punkten) が便利である。彼の思想は神秘的であるが、また詩的でもある。ヘーゲルはベーメを Philosophus Teutonikus と呼んでゐる。しかしベーメの思想は早くイギリスに入り、 William Law 1686 - 1761 や詩人ブレイクにも影響を与へた。

ベーメは究極の神を Stille ohne Wesen 〈何ものもなき静けさ〉とか、 Ungrund 〈無底〉とか呼んだ。また Wille ohne Gegenstand 〈対象なき意志〉とも呼んでゐる。つまり神は絶対の無であり、光でも闇でもない。しかもそれは有に対する無ではなく、有にして無なる絶対の無である。もし有に対する無であるならば、そこからいかにして有が出るかは、理解し得ないであらう。かかる無でもなき無がベーメのいふ無底であり、それが自らを見ることによつて世界が現はれるのである。このベーメの考へは突飛のやうであるが、我々の「心」を見れば、我々の心もやはりかかるものであらう。我々の心の底は無底なのである。もつと一般的に云へば、凡そ物があるといふ時、それは何かに於てなければならない。ではその何かに於てあると云はれるものは、更に何に於てあるのであるか。このやうに於てある場所の最後に於てあるものを尋ねて行けば、ベーメの無底の如きものに達するであらう。かかる最後の無の場所といふ如きものについては、一種の神秘的直観を許すの外はないであらう。ベーメの神秘主義はドイツ観念論の哲学者達、例へばシェリングやヘーゲルにも大きな影響を与へた。

我々の知識の根源と考へられるものは、宗教等の権威によつて与へられるドグマ的なものを除き去れば経験と思惟の二つであらう。経験論と合理論の対立はそこから起る。しかし我々の知識は単に経験か思惟かのどれか一つでは説明し得ない。カントの云ふやうに、形式と内容が結びつかなければならない。しかしそこに問題が残される。それは経験と思惟、或は無いようと形式とがいかにして結びつき、その結合によつて真理が構成されるかといふことである。それにはその両者が結びつく前に、その両者が元来結びつく所以のものがなければならない。その両者を結びつける所以のものは、ところがその両者のいづれかではなく、両者を含む第三のものでなければならないであらう。経験と思惟のほかに第三の立場がなければならないであらう。右と左とが対立するという場合に、右と左をつつんだ空間がなければならないであらう。神秘主義とは丁度そのやうな全体を直観しようとするものであり、そこに知識の成り立つ内的権威、内的根拠を求めようとするものである。実際、我々は見或は聞く場合、更に根源的な直観がその根柢にあるであらう。それは irrational 〈非合理的〉なものではなく、むしろ übervernünftig 〈超理性的〉なものである。フランスの Vauvenargue が ‘Les grandes pensées vienent de coeur.’ 〈偉大な思想は魂より来る〉と云ふのもこれであらう。我々の知識の根本は特殊にして一般、一般にして特殊なものがなければならない。芸術の如きも同様であらう。芸術作品は感性的なものであらうが、同時に ideal なものを含むのである。我々の知識の根柢にもかかるものが潜むのであり、それによつて我々の知識は成り立つのである。

第四章 認識の妥当

認識論の主な問題は、真理の問題、起源の問題、妥当の問題の三つであらう。そのうち最も中心的な問題は、真理の問題、即ち真理とはいかなるものであるかといふ問題、である。しかしそれが真に問題とされたのは比較的新らしい。それに対し歴史上古くから論ぜられたのは、却つて認識の起源の問題と die Geltung der Erkenntnis 〈認識の妥当〉の問題であつた。尤も妥当性 Geltung, validity といふ概念が一般に使用されるやうになつたのは極めて新らしく、ヴィンデルバント以降のことであるが、ヴィンデルバントは妥当といふ概念を、彼の師ロッチェ Hermann Lotze 1817 - 1861 から学んだのである。ロッチェは Sein 〈存在〉と Gelten 〈妥当〉とを明瞭に区別した。存在するのは Tatsache 〈事実〉であり、妥当するのは Wert 〈価値〉である。事実は単にかくかくの事実として存在するに止まるが、価値はそれとは異なる。価値は、真にせよ、美にせよ、善にせよ、それだけの「ねうち」を有つものとして人に認められるものである。例へば金塊は自然の事実としては単なる岩石と等しく存在するだけであらう。ところが金塊が何千円かの価値を有つといふ時、それはかかる価値あるものとして認められてゐることは、単に存在してゐるといふこととは別である。単なる心理現象としては我々の判断作用も存在する一個の事実であらう。しかしその判断作用の意味する内容が、真である時は妥当すると云ひ、偽である時は妥当しないといふ。このやうに妥当するとか、妥当しないとか云はれるのは価値についてであり、真や美や善と等しくかかる妥当する価値なのである。もとロッチェはプラトンのイデヤのあり方を、単なる現象のあり方と異るあり方として妥当といふ言葉で言ひ表はしたのであるが、ヴィンデルバントはその考へを受けて、真善美、総じて価値や理想のあり方を妥当と呼んだのである。ところが認識は心理といふ価値を宿すものであるが、それはどこまで妥当するか、その妥当の Grenz 〈限界〉はどこにあるか。それが妥当の問題である。ロッチェの妥当についての考へは、彼の Logik, Drittes Buch, Vom Erkennen を見れば分る。

認識の妥当の問題はこのやうに認識の有つ真理性の価値の妥当の問題であり、我々の認識はどこまで真理を知り得るか、我々の認識の達し得る限界はどこにあるかの問題である。真の実在を知り得るかどうかの問題である。従つて認識の妥当の問題は認識の起源の問題と密接に結びつく。ロックの認識論はそれである。しかし認識の限界の問題を深く自覚的に取りあげたのはカントであつたといふべきであらう。認識には真なる認識と偽なる認識があらう。しかし本当に認識の名に価するのは真なる認識でなければならない。では真なる認識はどこまで及び得るか。この認識の妥当の問題に対し、昔から提出された囘答は、次の三つである。
 1 Realismus
 2 Skeptizismus
 3 Idealismus
第一の実在論は我々の認識は真実在を知り得るとするもの、第二の懐疑論は真実在を知り得ないとするもの、第三の観念論は認識の可能を否定はしないが、我々の認識は真実在とは別であるとするものである。

第一節 実在論

Realismus 〈実在論〉とは、我々の知識の妥当性をどこまでも認めるもの、つまり我々の知識はどこまでも真実在と合致し、真実在を知り得るとなすものである。ところがこのやうな実在論は、我々の認識は外なる存在をそのまま写すものであるといふ模写説の立場に立つものであるが、その際、実在論に二種類が区別される。一つは naiver Realismus 〈素朴実在論〉であり、一つは rationalistischer Realismus 〈合理主義的実在論〉である。認識の起源のところで話したやうに、我々の知識の起源を感性的経験に求める経験論と、理性的思弁に求める合理論の対立があつた訳であるが、前者からすれば素朴的実在論になり、後者からすれば合理主義的実在論になるのである。

素朴的実在論とは、例へば我々が目で見た色、耳で聞いた音、総じて我々が感覚を通じて知つたものが、そのまま外界にあり、それが実在の真の姿であると考へるものである。これは我々の常識に最も近いものであるが、それがそのまま維持され難いことは一寸考へてみればすぐに解る。例へば水の中にまつすぐな棒を立てれば、水面のところでそれが折れてゐるやうに見え、地球より遥かに大きな太陽が、月と同じ位の大さにほか見えない類である。感覚は色々な Sinnestäuschungen 〈錯覚〉が示すやうに、我々を屡〻あざむくのである。更に一歩つつこんで考へれば、感覚は単に主観的な状態であり、外界の存在が我々の感官に及ぼした影響の結果にすぎないとも云へるであらう。

次に、合理主義的実在論とは、我々が理性により概念的に知り得たものが、真実在の姿であると考へるものである。そのやうな合理主義的実在論の最も純粋なものは、中世哲学の Universalienstreit 〈普遍者論争〉に於ける実在論に見られる。 universalia 〈普遍者〉とは、もとプラトンのイデヤのやうに、概念的なるもの、普遍的なるものの謂である。ところが一方の論者はかかる universalia が丁度プラトンの場合と同じやうに真実在であるとした。理性的、概念的に知られたものが真実在であるとした。かうした立場の人々を Realist 〈実念論者〉と呼ぶ。それに対し、他の一方の論者は particularis 〈個別的〉なるものが真に存在するものであり、普遍者とはそれから抽象されたもの、云はば単なる名前にすぎないとした。かかる立場の人々を Nominalist 〈唯名論者〉と呼ぶ。そして中世哲学の長きに亘つて実念論者と唯名論者が論争を続けたのであるが、それが「普遍者論争」と呼ばれるものなのである。そしてかかる実念論者の立場が最も純粋な Realismus であつたと云つてよいであらう。もとプラトンのイデヤ論は Idea を真実在としたのであるから Idealismus と云つてよいであらう。しかしプラトンのイデヤはバークリの idea 〈観念〉の如く主観的なものではなく客観的な真の実在であり、理性的、合理的に知られる実在なのであるから、その点からすれば REalismus である。そして中世の実念論者はこのプラトンの Realismus を継いでゐるのである。アンセルムスの如き人が、神の存在の ontologischer Beweis 〈本体論的証明〉をなし得たのも、かうした立場からである。彼は神は完全無欠なものであり、神の概念には存在といふ契機を欠くことはできない。存在といふ契機を欠くことは、神の概念の完全性に矛盾する。だから神は存在する、と主張した。これなぞは Realismus の典型的な行き方であらう。では実在論はそのままで維持できるかといへばさうではない。カントは頭の中で考へられた百ターレルの金と、実際に存在する百ターレルの金は別だと云つた。そのやうに単に頭の中で考へられたものと現実の存在とは別であらう。どれほど合理的に、また精密に考へられても、それだけではそれが存在するかどうかは決らないのである。実在論は思想内容と存在とを混同してゐるのである。従つてかかる rationalistischer Realismus は、ヴィンデルバントの云ふやうに begrifflicher Dogmatismus 〈概念的独断論〉なのである。カントは神や霊魂や宇宙の始源等の問題は合理的には論じ得ない道徳や信仰の問題であるとし、もしさうした問題を合理的に思弁的に論じようとすれば二律背反に陥るとしたのである。

以上の素朴的実在論と概念的独断論の中間に立つのが、普通の物理学者の考へである。彼等は我々が耳で聞く音がそのまま実在するとは考へない。却つて空気の振動の如きものが音の真相であると考へる。単に感覚的な現象をそのまま実在とは考へず、それを数学的に理論化したものをむしろ実在的と考へるのである。しかし物理学は感覚的な事実から離れることはできない。もしそのやうな具体的な事実から離れ、数学的 Formula で示されたものを直ちに実在そのものと考へれば、それは概念的独断論に堕するであらう。物理学上の諸概念は実在そのものを写すといふよりは、経験的事実を説明するために要求されたものと解すべきであらう。 Kirchhoff は「力学とは運動を記述する学である」と云つてゐるが、そのやうに力学といふ如きものも現象を記述するものであつて、それが直ちに真実在を写すとは云ひ難い筈のものであらう。

第二節 懐疑論

Skeptizismus 〈懐疑論〉とは、我々は真理を知り得ない、真理といふ如きものはないと考へるものである。

懐疑論にも色々の種類と程度があるが、その最もラディカルなものは真理をどこまでも否定するものである。ギリシャに於てはアリストテレース以後懐疑学派が現はれたが、 Pyrrhon 365 - 275. B.C. はその代表的な人である。彼はあらゆる知識を否定する。彼はまづ感性的知識を否定した。感性的知識は、人により、時により、所によつて異なる。感覚は物をそのありのままの姿で示すものではなく、ただ我々のとつてそのやうに見えるだけのものである。我々は感性を信ずることはできない。次に彼は理性的認識をも否定した。凡そ何かの議論が立てられた時、常にそれに対して反対の議論が立てられるであらう。また何かの議論が主張される時、それを基礎づける根拠になるものがその根柢になければならないであらう。ところがその根拠が確実である為には更にその根拠が基礎づけられる必要があり、かくて regressus in infinitum を惹起するであらう。そして最後にはもはや証明し得ない何かを許してそこから証明することになるであらうが、証明し得ないものから証明しても本当の証明にはならない。このやうにピロンはすべての知識を否定したのであり、そこから徹底した懐疑論のことをピロンの名をかりて Pyrrhonismus と呼ぶのである。ピロンの学説は Sextus Empiricus の Pyrrhonische Grundzüge に出てゐる。

近世での懐疑論者としてはヒュームをあげることができる。彼はロックの Essay concerning Human Understanding の思想を徹底させた人であり、初期の Treatise on Human Nature や、後にそれを多少書き改めた Enquiry concerning Human Understanding から彼の認識論上の思想を窺ふことができる。彼は我々の知識に二種類を区別した。一つは我々の観念と観念との主観的結合に基づく知識で、論理や数学上の知識がそれである。しかしこれは我々の意識内のもので、外界とは関係しない。他の一つは因果律に基づく知識で、我々はそれによつて外界の出来事を認識すると考へてゐる。しかしヒュームは因果律による認識の客観的妥当性を疑つた。蓋しヒュームは因果律といふ如きものは、我々の思惟する心の habit 〈習慣〉にすぎず、はたして客観界の出来事をそのまま示すかどうかを疑つたからである。例へば我々は、明日もまた太陽は東から出て似しへ沈むと信じてゐる。しかしそれは我々が今までに常に太陽が東から西に動くのを見てきた習慣の結果であつて、明日はたして太陽が西から出て東に沈まないかを保証するものではないであらう。かくて彼は、因果律に立脚した科学的認識についても、その客観的基礎を動揺させたのである。このヒュームの懐疑論はカントをして彼の dogmatischer Schlummer 〈独断の眠〉から彼を目覚まさしめる機縁を与へたのである。

大体懐疑論者達は昔から、単に知識を破壊するだけの目的で懐疑論を唱へたのではなく、むしろ知識を破壊することによつて却つて生の立場を確保しようとした人達である。例へば近くニーチェが知識を否定したのは、それによつて一種の Lebensphilosophie 〈生の哲学〉を立てるためであつた。もとピロンがすべての認識を疑つたのも、単に認識を否定するためだけではなく、すべての知識は疑はしいから従つてすべての判断を下すことを避け、彼の所謂 Epoche 〈判断中止〉を行ひ、それによつて心の安静を保たうとした為である。懐疑論の歴史を知りたい人は Raoul Richter, Der Skeptizismus in der Philosophie を読むのがよい。懐疑論にも色々あり、すべてを疑はしいとするのは Problematizismus であり、我々の認識は単に蓋然的なものほか知り得ないとするのが Probabilismus である。

では我々は懐疑論を承認できるかといへばさうではない。大体、いかなる真理もあり得ないといふ懐疑論の主張は、厳密には矛盾である。何故かと云へば、懐疑論者が、いかなる真理もないといふ時、その主張それ自身は真理であるとして自己の真理を認めてゐる訳であり、自己矛盾だからである。徹底した懐疑論は自殺論である。また疑ふといふことも何かの真理を前提してのことであらう。リッケルトが彼の「認識の対象」で云つてゐるやうに、何かの真理の理想を認めなければ、総じて疑ふといふ事は成立し得まい。

また上述したピロンやヒュームの考へについて云へば、なるほどピロンの云ふやうに、我々の知識は結局もはや証明し得ない何ものかに基づくといふべきであらう。例へば A=A といふ自同律は、更に他の論理によつて証明はできないであらう。しかし自同律を否定してはピロンの懐疑論それ自身が成立し得まい。それは凡そ思惟するといふ以上、認めねばならぬ sine qua non なのである。疑ふといふことが既にそれに基づくものなのである。またヒュームの因果律批判について云へば、彼は因果律は我々の習慣の結果であるといふ。しかし習慣とは、同じ経験を反復したためにそのやうに考へる傾向が生じたといふ訳であるから、それ自身が因果律を認め、それに基づいて自らを説明してゐるのである。そのやうに懐疑論は徹底すれば自己矛盾に陥るものなのである。

第三節 観念論

実在論と反対の立場に立つのが Idealismus 〈観念論〉である。 Idealismus といふ言葉は形而上学に於ても用ひられ、物質が実在であるとする唯物論に対し、精神的なるものが実在であるとするのが形而上学に於ける観念論である。しかし認識論に於て観念論といふ場合はそれと観点が異なる。即ち認識論上の Realismus とは我々の認識は外界の実在をそのままに知り得るものであるとするのに対し、認識論上の Idealismus とは我々の認識は外界の真実在をそのまま写すものではないが、しかし我々の意識内の現象については認識は成立する、認識は内界即ち意識の領域では妥当すると考へるものである。従つて観念論は外界の実在の認識を否定する点では懐疑論と類似するけれど、真理を全面的には否定せず、主観的には認識の可能を認める点で懐疑論とは異なるのである。多くの観念論は真実在についての認識は断念するが、現象についての認識を認めるといふ点で Phänomenalismus 〈現象主義〉である。

観念論とはこのやうに、我々の知識は真実在とは別であるとするものである。しかしそれにも色々の程度と種類が区別される。先に認識の源泉について感覚と概念の二つを区別したが、感覚から出発する立場からしては感覚に現はれるものはありのままの現象であるが、概念的知識は理性によつて組み立てられた符号の如きものにすぎないと考へられるであらう。かかる立場は sensualistischer Phänomenalismus 〈感覚的現象主義〉と云はれる。これに対し概念から出発する立場では、概念的知識の内に実在は現はれるとするからそれは rationalistischer Phänomenalismus 〈合理的現象主義〉と呼んでもよい。しかし感覚的現象主義も合理的現象主義も、共に我々の認識能力のある一面のみについての現象主義であるから、 der partielle Phänomenalismus 〈部分的現象主義〉である。しかし現象主義或は観念論は、徹底すれば全体的現象主義にならなければならぬであらう。全体的現象主義とは、我々の知識すべてについて Idealität 〈観念性〉を主張するものである。

しかし徹底した観念論にも二種類が区別される。一つはバークリのやうに経験論に基づく観念論、即ち empirischer Idealismus であり、それは psychologischer Idealismus 〈心理的観念論〉或は dogmatischer Idealismus 〈独断的観念論〉と呼ばれる。これに対し他の一つはカントの kritischer Idealismus 〈批判的観念論〉であり、それは transzendentaler Idealismus 〈先験的観念論〉とも呼ばれる。

まづバークリ風の観念論について考へてみよう。バークリは、 esse=percipi と云つた。存在してゐるとは知覚されてあるといふことであり、知覚の外に別に存在があるのではない。我々が知り得るのは我々の意識内容に限られ、我々は我々の意識以外のものを知ることはできない。我々が物と呼んでゐるところのものは、実は我々の感覚にすぎないといふのである。従つてこの立場はそれを徹底すれば、凡そ存在するとして知られてゐるところのものは自己の意識のみといふことになり、結局存在するのは自己のみといふ Solipsismus 〈独我論〉に帰着するであらう。尤もバークリは神の存在を認め、我の意識内容と他の人々の意識内容に共通のものがあるのは、共にそれが神の意識内容としてそれに基づくからであるとし、それによつて知識の客観性とも云ふべきものを救はうとしたから、独我論には陥らなかつたのである。

カントはかかるバークリ風の観念論は dogmatischer Idealismus 〈独断的観念論〉であると云つた。認識の問題を単に心理学的に考へ、十分批判的にその可能根拠を問題としてゐないからである。これに対しカントの立場は kritischer Idealismus 〈批判的観念論〉であり、 transzendentaler Idealismus 〈先験的観念論〉なのである。カントは我々の認識は自我に具はる先天的形式によつて所与の感覚を組み立てることによつて成立すると考へた。カントにそつてはそのやうに我々の認識は主観の形式によつて常に制約されるから、我々の認識は我々の意識を超越した Ding an sich 〈物自体〉には及び得ないことになるのである。我々の認識は我々の経験界に限られ、それを越えた物自体の真相を示すものではないのである。従つてカントの立場は明かに Idealismus である。しかしカントの観念論はバークリの観念論とは根本的な相違がある。けだしカントの云ふ認識は単に心理的なものではなくして先天的なものであり、その形式が属する主観も個人的な自我ではなくして所謂 Bewusstsein überhaupt 〈意識一般〉と云はれるやうな超個人的な意識である。それ故、かかる超個人的な先天的形式によつて構成された認識の世界は我々すべてにとつて共通な世界であり、そこに認識の普遍妥当性が成立するからである。従つてカントの先験的観念論とバークリの心理学的観念論の相違は明瞭であらう。カントは経験界についての客観認識を基礎づけたのであるが、ただ物自体についての認識を拒否した点に於て観念論なのである。

なほ現代に於ては Pragmatism 〈実用主義〉や Denkökonimie 〈思惟経済説〉の立場も、ある意味で観念論といふべきであらう。実用主義からすれば思惟は実在を写すものといふより生のための手段であり、思惟経済説からすればマッハ等に於ける如く力学の如きものも運動の現象を最も簡明に、従つて最も経済的に記述するだけのものと考へられるからである。思惟経済説はオッカム等の唯名論者が、概念は実在をそのまま写すものではなく、ただ名前であり、 Zeichen 〈記号〉であると考へる考へ方の伝統に結びつく。このやうに概念は実在をそのまま写すのではなく、単に実在の記号であり、代表にすぎないとする説を、 Semeiotik 即ち Zeichenlehre 〈記号説〉といふ。

附。カント主義に於ける形式と内容

以上に述べてきた観念論と実在論の対立は、我々の知識は何かの外界の存在を intendieren 〈志向〉するものであるが、その際、我々の知識内容が外界の存在と合致するか否かで区別されることによつて成立した対立であり、従つてその根本では認識論上の模写説が前提されてゐる。しかしカント主義の立場に立つて認識は模写ではなく構成だと考へれば、上述したやうな意味での実在論と観念論の対立はそのままではもはや維持されないであらう。カントでも物自体の認識は拒否されてをり、その点、観念論であり、またそこに色々の問題が残されてゐるのであるが、我々は一応常識的な模写説の立場を棄て、カント主義の洗礼を受けなければならない。認識の問題については批判主義の教へるところを十分に顧慮しなければならないのである。さうすることによつて実在論と観念論の古い対立も越えられ、実在といふものの考へ方にも新しい道が開かれるであらう。しかしその為には新カント学派自身に於ける西南学派とマールブルク学派の対立の意味を考へておくことが必要である。

西南学派特にリッケルトに於ては、認識は所与の内容が先天的な形式によつて構成されることによつて成立すると考へられる。これはカントが所与の内容をも重んじ「内容なき思惟は空虚である」といつたのに比すれば形式主義に傾き、抽象的である。リッケルトも純粋経験に近いやうなものを直接の所与として認めるのであるが、しかしかかる所与の内容と先天的形式との関係は十分に考へられてゐない。彼はむしろ知識以前の直接の所与の問題は認識論の範囲を越えた問題であると考へてゐるやうである。これに対しリッケルトの師ヴィンデルバントが、知識と実在とは根本的に異るものではない、即ち質的に異るものではなく単に量的に異るものである、実在は知識より遥かに内容の豊富なものであり、知識は実在の一面を見るにすぎない、とする方がより具体的といふべきであらう。しかし西南学派は総じて形式主義であり、形式と内容の関係が十分に考へられてゐないのである。その点西南学派は観念論的と云つてよい。

ところがそれに対し、コーヘン、ナートルプ、カッシーレルと受け継がれたマールブルク学派は、形式と内容の問題をより深く考へ、両者を相関的に考へてゐる点でより実在論的だとも云ひ得る。即ちマールブルク学派では、 das Gegebene 〈与へられたもの〉は das Aufgegebene 〈課せられたもの〉だと考へる。与へられたものは単に外から与へられたものではなく、思惟によつて内から要求されたものである。云はば音が耳に聞えるのは単に外から音が与へられるからではなく、我々が耳をもつてそれを聞くことを求めるからである。コーヘンは形式の方向即ち das Rationale 〈合理的なるもの〉と、内容の方向即ち das Irrationale 〈非合理的なるもの〉とはもと一つのもので、形成して行く方向が前者であり、まだ形成されてゐないものの方向が後者であり、と考へた。つまり両者の関係はギリシャ哲学でいふ ὄν 〈有〉と μὴ ὅν 〈非有〉の関係であり、後者は単に存在しないのではなく、合理化されて「有」となるべきものなのである丁度方程式の中のxのやうに解決さるべきものなのである。だから与へられたものは解決さるべく課せられたものだといふのである。従つて非合理的な所与も実は微分的には合理的であり、思惟的であるとする。例へば円の点とパラボラの点とは、共に点であつても性質が違ふであらう。円の点が与へられれば、それでその円は決まる。円の点はその有する微分的な性質によつて円を生産するのである。点は erzeugender Punkt 〈生産点〉である。ここからコーヘンは infinitesimalmethode 〈微分法〉を重視するのであるが、要するに対象は単に与へられたものではなく思惟自らのうちから erzeugen 〈生産〉したものであり、思惟は erzeugendes Denken 〈生産的思惟〉なのである。従つてマールブルク学派に於ては、形式と内容の問題は、動的、相関的に考へられてゐるといふべきであらう。

認識の妥当の問題についての根本的対立は、しかし畢竟するに Realismus と Idealismus との対立である。無論、古い意味での実在論と観念論の対立はカントの批判主義で超越されたとも云へるが、カントの立場でも物自体の問題が残り、また新カント学派でも形式と内容の関係の問題が残される。コーヘンのなぞの考へはよほど深く考へられたものであるけれど、それで問題が解決されたとは思へない。真の認識の根柢は Realismus でも Idealismus でも解けず、 Ideal と Real が合一した所、知るものと知られるものが合一した所に求めらるべきであらう。ではそれはどのやうなものであるかと云へば、一応は意志の世界であると云つてよいであらう。知識の立場の奥に意志の立場があり、真に直接に与へられた世界は意志に与へられた世界であり、活動の世界である。我々は知識によつて知る前に、意志によつて知るのである。我々の自我といふ如きものを考へてみても、単に限定されたものではなく、どこまでも自己を限定するものであり、働くものである。しかし究極の実在は単に働くもの動くものかと云へばさうではない。神秘主義のところで話したやうに、動にして静、静にして動なるものである。どこまでも動くものを包んでそれを見るものといふ意味があらう。無の場所の如き意味があらう。認識の問題は真実在の問題と離して考へることはできないのである。しかし真実在の問題は形而上学の問題である。