西田幾多郎著『哲学概論』 第一編 序論

第一章 哲学とは何か

哲学とは何か。この問ひに簡単な答へを与へることは困難である。哲学は古くからあり、個々の特殊科学に先んじて起つた。また哲学は歴史上色々と変遷してをり、将来もなほ発展して行くであらう。従つてそれを簡単な概念に纏めることは困難だからである。尤も一応は、ヴィンデルバントが彼の Lehrbuch der Geschichte der Philosophie 〈哲学史教本〉の冒頭で、次のやうな定義を下してゐるのを借用してもよいであらう。彼は次のやうに言つてゐる。即ち、哲学とは die wissenschaftliche Behandlung der allgemeinen Fragen von Welterkenntnis und Lebensansicht 〈世界観及び人生観に関する一般的問題の学的考察〉である、と。つまり哲学とは、世界はいかなるものであるかといふ Weltanschauung 〈世界観〉及び人生はいかなるものであり、人間は何を為し、如何に生くべきかといふ Lebensanschauung 〈人生観〉を学的に取扱ふものであるといふのである。世界観や人生観の問題は、宗教や芸術に於ても触れられるのであるが、それを学問的に問題とするところに哲学がある。私の哲学についての定義は後に話すことにして、その前に哲学の概念の歴史を述べておくことにしよう。

第一節 哲学の歴史

Philosophy, Philosophie 〈哲学〉といふ言葉は、もとギリシャ語の φιλοσοφία に由来する。 φιλοσοφία といふ言葉は φίλος=love といふ語と σοφία = wisdom といふ語が結びついてできた言葉で、広く Streben nach Weisheit 〈知慧を愛求する〉ことを意味した。今、 sophia とは知慧の意味だと云つたが、ギリシャ語では元来それほど高尚な意味ではなく、むしろ始めは例へば建築家が建築の技術を心得てゐるといふ如く技術的、実用的な意味のもので、ホーマーなぞでソフィアといふ言葉が使はれてゐる場合はそれである。それが段々と深い知慧の意味に変つて行つたのである。

Ⅰ 古代哲学

元来ギリシャでも φιλοσοφία といふ一つの言葉があつたのではない。 φιλόσοφος = Weisheitsfreund といふ言葉はヘラクレイトスに現はれたのが最初であり、ピタゴラスからとも云はれるがそれは誤である。ところで今日の Philosophie の源をなす言葉は歴史学の父と呼ばれるヘロドトスが φιλοσοφεῖν といふ言葉を使つたのに由来し、それは上述したやうに「知慧を愛求する」といふ動詞の形であり、それから φιλοσοφία 〈愛知〉といふ名詞の形に変つたのである。フィロソフィアといふ言葉は最初はこのやうに「知慧を愛すること」とか「知的教養を求めること」とかいふやうに広い意味で用ひられてゐたが、それがソフィスト達やソクラテスを通じて「学問をすること」といふ意味に段々と限定されてきた。尤もソフィスト達やソクラテスでは、ソフィアといふ言葉は古くからの技術的知能といふ意味をなほ含んでゐた。それが純粋に精神的な意味での知慧になるのはプラトンからである。

プラトンは知識を二種類に区別した。一つは ἐπιστήμη = Erkenntnis, knowledge であり、一つは δόξα = Meinung, opinion である。イデヤとは永遠不変の真実在である。これに対し後者即ちドクサとは臆見であり、現象界についての知識であり、不完全な知識である。そしてフィロソフィアが追求するソフィアは真知即ちエピステーメである。ここに到つて哲学の意味はかなり明確になつたと云つてよい。我々は色々な学問を有ち、色々な知識を求めるのであるが、真実在の知即ちエピステーメを求めるのが哲学である。しかしプラトンもなほ、哲学について明瞭な定義を下してゐた訳ではない。哲学に明瞭な定義を下したのはアリストテレースである。

プラトンやアリストテレースに於ても、フィロソフィアといふ言葉は広義にも用ひられ、その場合には今日でいふ Wissenschaft, science と同意義であつたと云つてよい。アリストテレースはフィロソフィアの中に、数学、物理学、倫理学、政治学の如きものをも含ませてゐる。しかしアリストテレースはそれと共にそれから区別して、今日所謂「哲学」にあたるものを特に πρώτη φιλοσοφία = die erste Philosophie 〈第一哲学〉と呼んでゐる。では第一哲学とはどのやうなものかと云へば彼の Metaphysik, Buch VI. 〈形而上学、第六巻〉に於て τὸ ὄν ἦ ὄν = das Seinende als solches, being as such の学であると云つてゐるのがそれで、第一哲学とは存在そのものの学であるといふのである。例へば有形な存在である数、天体現象、植物、動物等は、それぞれ数学、天文学、植物学、動物学によつて研究されるであらう。また無形な存在である我々の心の如きものも心理学では研究されるであらう。しかしこれらの das Seiende 〈存在者〉は皆それぞれに特殊な存在者であつて、存在者そのもの、実在そのものとは云へないであらう。これに対しアリストテレースは das Seiende als solches 〈実在そのもの〉を明かにするのが第一哲学だといふのである。尤もアリストテレースは他の箇所 Buch I. で哲学とは die obersten Prinzipien und Gründe = the first principles and causes を明かにするもの、即ち第一原因の学であると云つてゐる。アリストテレースは総じて学問とは Warum 〈何故しかるのか〉といふ問ひに答へるものであり、天文学は天体現象の何故しかるのかに対し、生物学は生命現象の何故しかるのかに対し答を与へるものであり、従つて第一原因の学であるといふのである。即ちアリストテレースにとつては、第一哲学とは「実在そのものの学」であり、また「第一原因の学」である。ではアリストテレースはこの二つの定義の関係をどう考へたかと云へば彼自身それを明瞭に説いてはゐないが、この二つは一つのことであり、即ち真の実在は真の原因であると考へたに違ひなからうと思ふ。様々の存在をして存在たらしめる所以の存在そのものは、すべて存在の究極の原因でもあるのである。アリストテレースの第一哲学はこのやうに実在そのものの学、或は第一原因の学として、今日の所謂形而上学にあたるのである。

しかもアリストテレースはこのやうな第一哲学を純粋に理論的なものと考へてゐる。大体ギリシャ人は知識の為に知識を求める民族であるが、それが最も徹底したものがアリストテレースであつたと云つてよい。目が光を見ることを喜ぶやうに、我々は知ることをただ知ることの故に喜ぶのであり、知識の究極の満足を求めるのが第一哲学なのである。前に云つたやうにソフィスト達やソクラテスに於ては、ソフィアといふ言葉には知慧の意味と実践的技術の意味とがあつた。アリストテレースはそれを純粋な知慧の意味に徹底させたのである。アリストテレースにとつては哲学は純粋に理論的な問題であつたと云つてよい。哲学がこのやうに純粋な theoretische Frage 〈理論的問題〉として考へられたといふことは、哲学の概念の歴史的発展に於て、注意さるべき重要な一つの点である。しかしソフィアといふ言葉には技術的、実践的な意味があつた。この点はアリストテレース以後のギリシャ哲学で顕著に現はれてくるのであつて、ストアやエピクルースの哲学はそれである。そこで哲学は praktische Frage 〈実践的問題〉に答へるものになる。これは哲学の概念の歴史的発展に於て次に注意さるべき第二の点であらう。

ストアでは哲学の目的は das Streben nach Tugend 〈徳の追求〉にありとされ、エピクルースでは哲学とは das rationelle Erstreben der Glückseligkeit 〈幸福の合理的獲得〉であるとされた。ストアにとつては徳が人生の最高の善であり、エピクルースにとつては幸福が人生最高の善であつた。このやうにストア学派とエピクルース学派とは、人生の究極の目的をどう考へるかについて正反対の立場に立つたのであるが、哲学の真の目的は単に知の為に知を求めるところにあるのではなく、哲学の目的はいかに人生を処するかにありとした点では同様である。即ち共に praktisch 〈実践的〉なのである。ヴィンデルバントが、哲学は Welterkenntnis 〈世界観〉と Lebensansicht 〈人生観〉を問題にすると云つたが、アリストテレースの関心はむしろ前者に向けられ、ストアやエピクルースの関心はむしろ後者に向けられてゐるのである。

しかしストアやエピクルースとは異つた意味で人生観的な哲学があり得る。それは倫理的にといふより、むしろ宗教的にといふことである。事実、ストアやエピクルースは倫理的であつたが、更にその後に現はれたギリシャ末期のアレキサンドリアの哲学、また新プラトン学派の哲学特にプロチーヌスの哲学は著るしく宗教的なのである。ここでは哲学は云はば宗教的な救済、悟りを目的とする。プロチーヌスの弟子プロクレスでは哲学の目的は神を知ることにあり、哲学は即ち神学と同義になつた。これが哲学の概念の発展に於て注意さるべき第三の点であらう。

以上ギリシャ哲学の展開の中に見られる哲学の三つの意味、即ち第一には理論的意味、第二には倫理的意味、第三には宗教的意味を東洋哲学と比較してみれば、東洋哲学には第一の理論的意味は極めて乏しいと云はなければならない。支那哲学は主として第二の倫理的意味のものであり、宋代の理学には理論的な関心が強く認められるが、結局は徳を得るための手段である。そして印度哲学は主として第三の宗教的意味のものである。

Ⅱ 中世哲学

広く思想史上、中世はキリスト教がすべての精神的文化の中心をなしてゐた時代であり、哲学も哲学としての独自の意義や使命を有つものとは考へられてゐなかつた。却つて哲学は宗教に従属し、キリスト教の Dogma 〈教義〉を学的に論証することを自己の使命としてゐた。ヴィンデルバントの語を借りれば、哲学の中心課題は eine wissenschaftliche Begründung, Ausbildung und Verteidigung des Dogmas 〈教義の学的なる基礎づけと完成と弁護〉にあつた。哲学は ancilla theologiae 〈神学の婢〉といふやうな言葉のある所以である。中世哲学はキリスト教神学をギリシャ哲学、特にプラトンやアリストテレースの哲学で説明しようとしてものであり、キリスト教の信仰とキリスト教の神学とを学的に結びつけることが、その主なる課題であつた。畢竟、中世哲学では哲学はキリスト教哲学であり、神学的であり、宗教的意味のものであつた。中世哲学にも無論そのやうな点からすれば深い思想が現はれてはゐるが、哲学の定義の発展の上では、ギリシャ哲学に既に現はれてゐるものに改めて新らしい要素を加へたとは云ひ得ない。

Ⅲ 近世哲学

では近世哲学に於てはどうであるか。近世哲学は中世哲学に反抗して起つた。中世ではキリスト教がすべての文化の中心であり、あらゆる文化価値はそれによつて統一されてゐた。しかし中世の末期、キリスト教の信仰が弱まり、教会の権威が薄らぐと共に、個人が自由に自己の理性で思索するやうになり、 das individuelle Denken 〈個人的思索〉は Offenbarung 〈啓示〉に頼らず das natürliche Licht 〈自然の光〉即ち我々の理性と経験の教へるところに基づいて営まれるやうになり、純粋の学問が起り、哲学は再びギリシャに於けるやうに Weltweisheit 〈世界観〉を学的に求めるものになつた。

しかしそれと共に近世哲学には新らしい一つの傾向が現はれてきた。それは認識論的傾向である。けだし近世哲学が宗教の権威から離れ、人間が自分の理性や経験で色々な問題を考へようとした時、人間が人間自身の力ではたしてどこまで問題を解決し得るか、特に従来宗教を基として論ぜられてきた問題にはたしてどこまで迫り得るか、かうした反省が起る訳であり、ここからして知識が知識自身を問題とするといふ認識論的傾向が現はれたのである。尤も近世の初めに於ては、知識が知識自身を問題とすると云つても、それはどのやうな方法で我々は確実な知識を得ることができるか、それは理性によつてか、経験によつてかといふ如き方法論上の問題で、前者はデカルト、後者はベイコンの立場であるが、まだ純粋に認識論的だとは云ひ得ない。

これに対し、知識とは如何なるものであり、知識の真の源は何であり、また我々の知識はどこまで及び得るかといふ問題を、組織的にまたつきつめて論じたのがロック John Locke, 1632 - 1704 であり、彼の An Essay concerning Human Understanding 〈人間悟性論〉は纏つた認識論の始めである。しかしロックの認識論は認識の問題を心理学的な立場から論じてゐるので、未だ厳密な意味での認識論の立場に立つてゐるとは云へない。厳密な意味での認識論はカントの Kritik der reinen Vernunft 〈純粋理性批判〉からで、彼はいかにして認識が可能であるか、認識の妥当する範囲はどこにあるかといふことを単に心理学的にではなく人間理性の自己批判といふ形で、純粋に認識論的に論じたのである。ヴィンデルバントの所謂 kritische Selbstbesinnung der Vernunft 〈理性の批判的自己省察〉である。これが今日の認識論の基礎である。ギリシャ哲学に於て、哲学に理論的意味、倫理的意味、宗教的意味の三つの意味が見られてゐた訳であるが、それに加へてこの近世哲学に現はれた認識論的意味を第四の注意さるべき点と考へてよいであらう。

カント以後、ドイツに於ては再び形而上学が起つてきた。フィヒテ、シェリング、ヘーゲル等の哲学はそれである。かくて哲学の問題は、認識の問題から再び真実在の問題に帰つた。ヘーゲルが哲学とは絶対者の学であるとするのはそれである。しかしそれは既にアリストテレースにあつた考へであると云つてよい。ヘーゲルの哲学はカントの批判哲学を通つてをり、精神の哲学として新しい意味もあるが、哲学の定義といふ点からすれば、特に区別する必要はない。ヘルバルトは哲学を定義して Bearbeitung der Begriffe 〈概念の修整〉だと云つてゐる。我々の有つ様々の概念の間には色々の矛盾があるが、そのやうな矛盾を取り除き、概念の修整をするのが哲学だといふのである。これは一寸変つた定義であるが、要するに一種の形而上学である。

現在の哲学はカントの流を汲むものが多い。ヴィンデルバントが彼の Präludien 〈序曲〉の始めに於て哲学とは die Wissenschaft von der notwendigen und allgemein gültigen Wertbestimmungen 〈必然的且つ普遍妥当的な価値規定の学〉と呼んでゐるのもやはりそれであらう。哲学は真善美といふ如き必然的且つ普遍妥当的な価値の学であるといふのであり、カントの批判哲学の精神の上に立つものである。しかし現在の哲学にはかかる認識論的傾向の哲学と共に、ベルグソンその他の純粋経験の上に立つ形而上学的傾向も認められる。

第二節 哲学の概念

以上、哲学史上に現はれた哲学についての色々の考へ方を見て来た。それには四つの種類があつた。一、理論的なもの、二、倫理的なもの、三、宗教的なもの、四、認識論的なものがそれである。ところが二と三とは倫理的と宗教的といふ差はあるが、共に等しく実践的なものと云つてよいから、哲学の定義は一、理論的、二、実践的、三、認識論的の三つになる。ではそのことを念頭に置いて包括的な定義を哲学に下せばどうなるかと云へば、私は、簡単に、「哲学とは知識の最高の統一である」、と云つてよいと思ふ。別な言葉で云へば哲学は die Wissenschaft der Wissenschaften 〈諸学の学〉である。この哲学の定義の中に、上の三つの規定はいづれも含まれ得ると思ふ。

第一。まづ哲学は Wissenschaft 〈学〉であり、理論的なもの、論証的なものである。尤も知るといふ言葉は広い意味に用ひられ、体験的に知ること、直観的に知ることも「知る」ことである。或は技術的な能力も「知る」といふ言葉で言ひ現はされ、「彼は游ぎが出来る」といふ代りに、「彼は游ぎを知つてゐる」といふが如くである。しかしかうした意味での知は厳密な意味での知ではなく、厳密な意味での知は概念を用ひての判断的知識であらう。我々が見たり聞いたりして知つた知識は単に感覚的知識であり、人により、時と所によつて異なり、普遍的妥当性を有たない。これに反し一般的な概念によつて判断的に纏められた知識が真の知識であり、かかる判断的知識の体系が学と呼ばれるものである。一体、知識とは何かといふことはむつかしい問題であるが、一応このやうに考へておく。真に知るとは単に Wahrnehmen 〈知覚〉して知ることではなく、 Denken 〈思惟〉して知ることであり、 Urteil 〈判断〉の形を有つたものであり、そして判断の材料となるものが Begriff 〈概念〉である。しかしかかる知識も所謂常識から全く離れたものではなく、常識を洗錬し、統一したものである。哲学は単に信念とか直覚といふ如きものではなからう。かかるものならば、それは宗教や芸術のうちにもある。かかるものも或る意味では哲学的思想であると云ひ得なくもないが、しかし哲学ではない。哲学はそれを概念的に明かにしたものでなければならない。つまり哲学は概念的認識であり、学である。しかしさうかと云つて、哲学は単なる学ではない。それならば他の特殊科学と異なるところはない。これに反し、哲学はあらゆる知識の最高統一であり、諸学の学である。この点を考へることによつて哲学の概念が明瞭になり、また上述した三つの意味がこの定義の中に含まれる所以も知られ得るであらう。

私は哲学はあらゆる知識の最高統一であると云つた。しかしその意味はもう少し正確にしておく必要がある。それは、哲学はあらゆる知識の根柢を明かにすることによつてそれを統一するものであるといふことである。すべての特殊科学は、皆何かのヒポテーシスの上に立つてゐる。 Hypothesis と云へば普通に仮定と訳され、何か随意のもののやうに考へられるが、さういふ意味ではなく、Grundlage 〈基礎〉とか〈根柢に置かれたもの〉の謂である。これがヒポテーシスといふ言葉の元来の意味で、今の言葉で云へばアプリオリだと云つてよい。数学は数を、幾何学は空間を、生物学は生命といふものを、それぞれの学の基礎とし、そのアプリオリの上で研究を進めてゐる。アプリオリが異なることによつて、異つた学問が成立する。ところがそれらの学は数とか空間とか生命とかいふものを一応自明のものとして、深くそれが如何なるものであるかを問ふことができない。かかるアプリオリがどのやうなものであるかを問ふのは特殊科学以上の学、即ち哲学の仕事である。このやうにアプリオリなものを更に研究の対象とするのが哲学であるが、それによつて種々なる科学の立つ所以の根柢が明かにされ、種々なる知識が根本から統一される。従つて哲学とはアプリオリのアプリオリの学であると云つてよい。そして種々なる知識のよつて立つ根柢を明かにするといふ点からすれば、アリストテレースが、第一哲学は第一原理の学であると云つた意味が含まれてゐるであらう。哲学の有つ第一の意味、即ち理論的な意味はここに明瞭であらう。哲学はまづかかる意味で学の学である。

第二。では次に哲学の有つ実践的な意味についてはどうであるか。ストアやエピクルースでは哲学は最高善を目的とするものとされたが、かかる意味の哲学も知識の最高統一としての哲学といふ定義のうちに収められ得るか。ヴィンデルバントの云ふやうに、哲学の意味も時代によつて変化する、そしてその変化は文化価値の体系の上に於て理論的価値の占める位置がどう変るかによつて決定されるものであらう。アリストテレースの頃に於ては理論的価値が実践的価値に大して上位を占めた。しかし、アリストテレース以後に到つてその順序が逆になり、実践的価値が理論的価値に対して上位を占めることになつたのである。そこからストアやエピクルースに於けるやうに、哲学の目的は最高善の追求にありとされたのである。このやうに知識といふものの有つ意味や価値についての考へ方はアリストテレースとそれ以後とでは異なり、それと共に哲学の意味も変つたのであるが、ストアやエピクルースでも哲学は単なる倫理学ではなく、人生は究極に於てどういふものであり、またどうなければならないかといふ究極原理を求めてゐるのであり、それが最高善の内容である。従つて彼等に於ても最高善はあらゆる知識の究極の統一点であり、最高善はすべての学問のよつてもつて基づく所以のものであつたといつてよい。哲学は知識の最高の統一であるといふ意味はこの場合に於てもやはり認められると思ふ。

第三。終りに認識論的な意味の哲学についてはどうであるか。認識論は究極の存在を知らうとするのでもなく、また最高善を明かにしようとするのでもない。この点、従来の哲学とはやや趣をことにする所がある。認識論は形而上学ではなく、むしろ形而上学の否定に傾く。しかし認識論は知識は総じて如何にして可能であるかを問ふものであり、知識の自己反省であり、あらゆる科学の根柢を明かにせんとするものとして die Wissenschaft der Wissenschaften 〈諸学の学〉であると解してよいであらう。認識論もあらゆる知識の最高の統一を求めるものである。――要するに「哲学とは知識の最高統一である。」

ショーペンハウエルは、人間は animal metaphysicum 〈形而上学的動物〉であると云つた。人間は本来形而上学を求め、哲学を求める動物であるといふのである。では何故哲学は我々にとつて必要なのであるか、またどんな意味で我々は哲学を要求するのであるか。

私は哲学はすべての知識の最高統一を求めるものであると云つた。では何故我々の心はそのやうな最高統一を求めるのかと云へば、それは我々の心の根本的要求だからである。我々の心は生きたものであり、自分自身で分化発展し、どこまでも統一を求めるものである。かかるものが心である。その発達の上からすれば、始めて生れたばかりの子供には、はつきりした意識はなく、特に知識といふべきものはあるまい。コンディヤックの云つたやうに、生れたばかりの子供には特に光の感覚といふ如きものがあるのではなく、光を外に見てゐるといふ如き意識はあるまい。彼にとつては光がすべてであり、光が我であり、また世界ででもあるであらう。しかしそこには一方我の意識として自覚されてくる面と、光として対象化されて行く面とが潜んでゐるであらう。でなければそこから何ものも発展してくるといふことはあるまい。我々の心は分化発展するものなのである。しかし我々の心には、またどこまでも統一を求める面がある。例へば今のコンディヤックの光について考へてみれば、我々の心は最初は光と一つであらう。心は青い光を見る時には青い光となり、赤い光を見る時には赤い光となるであらう。しかしもしそれだけなら、青い光で満された心と赤い光で満された心は全く別の心といふこととなる。しかしそれは心の否定である。心は青来れば青となり、赤来れば赤となりながら、やはり同じ一つの心でなければならない。これは矛盾したことのやうであるが、心とはどこまでもこの矛盾を統一して行くものでなければならない。我々が何かを疑ふといふことは心が分裂してゐることであり、理解したといふことはそれが再び統一に帰つたといふことである。心は分裂を通じてどこまでも統一を求めるものであり、その最高の統一が哲学なのである。

以上は知識の面を主として云つたのであるが、我々の意志や欲望についても同様であらう。大体、我々に何か欲望が起つてゐるといふことは、心に分裂が起つてゐるといふことである。例へば我々が水を飲みたいと意欲してゐることは、今の水に渇してゐる心の状態が、水を飲んだ場合の心の状態と対立し、その対立した状態に於て後者を意欲してゐるのである。たとへ生理的には水を求めるといふ欲求が漠然とあるにせよ、かつて水を飲んだ経験がない人には、具体的に水を飲むことを求めるといふ欲望は起るまい。即ち欲望とは、それが満されてゐない状態と満された状態とが対立し、分裂し、その統一を求めてゐることであり、その統一が得られたことが欲望が満されたことであり、即ち心の満足である。このやうに我々の心は、意志や欲望の面に於ても分裂を通じて統一を求めてゐるのであり、そのやうに生命の最高の統一を求めて行くことが、哲学の実践的な意味なのである。

今話してきたやうに、我々の心は理論的にも実践的にも、最高の統一を求めるものであり、従つてヴィンデルバントが哲学とは世界観と人生観との学であると云つたのは、簡潔に哲学の本質を云ひ現はしたものと云つてよい。哲学は究極の存在を求めるものであり、また最高の善を求めるものである。それが我々の心の本来の要求である。しかしこの二つの要求は必らず一つに結びつかなければならない。ヴィンデルバントのやうに、この二つを別々の哲学の系統に属するものと考へるだけでは足らない。アリストテレースは存在そのものを明かにしようとしたのであつたが、彼にとつてはそれが最高の善であつた。ストアやエピクーロスは最高の善を求めたのだが、それが彼等にとつては最高の知慧であつた。我々は互に矛盾した理論的要求と実践的要求を有つことはできない。理論的には materialistisch 〈唯物論的〉であつて、実践的には idealistisch 〈理想主義的〉であることはできない。無論そのやうな立場に立つ人もあらうが、そのやうな人は理論の面はどこまでも合理的に考へようとしながら、実践の面に於ては一種の信仰で満足する 人である。しかし信仰といふものにも概念的、理論的に明かにさるべき面があらう。それがもし理論の面と矛盾するなら、人は長くそこに止ることはできない筈である。理論的認識と実践的認識とは矛盾してはならない。尤も他方、実践的認識は直ちに実践的行為ではない。哲学が明かにし得るのは実践的認識であり、それがそのまま実践的行為とは云ひ得ない。もしさうであるならば哲学者は直ちに聖人であらうが、哲学者はそのまま聖人とは云ひ得ない。しかし聖人であり、哲人であることはやはり哲学者の理想ではあり得よう。哲学は学ではあるが知識の最高の統一を求めるものとして、その究極に於ては哲学者のそれぞれの人格的統一を示し、かかる人格的統一としてはそれぞれの哲学者の個性を表すものである。その点、哲学は芸術に類する面もあると云へる。

第二章 哲学と科学、芸術、宗教

第一章で哲学の歴史と定義について話した時、哲学には科学、芸術、宗教と深い関係があることを述べておいた。ではその関係とはどのやうなものであるか。どのやうな点で互に類似し、またどのやうな点で異るのか。それについて次に話しておかなければならない。まづ哲学と科学の関係はどのやうなものであるか。

第一節 哲学と科学

哲学は芸術的な直観や宗教的な悟りといふものではなく、学問的なものであり、概念的知識である。哲学は広義に於ては学 Wissenschaft, science の一種であり、その点、所謂科学と同様である。学といふことを広い意味に解せば、哲学はその中に含まれる。では哲学は他の諸科学とどのやうに関係し、どこに相違点があるのか。

昔からの学の歴史を考へてみると、ギリシャ時代では哲学は他の諸科学の根柢と見られてゐた。それは特にアリストテレースに於て明瞭である。例へばアリストテレースは哲学を定義して、第一哲学即ち形而上学は実在そのものの学、最高原理の学であると云つてゐる。つまり哲学はすべての学の根拠をなすものだといふのである。アリストテレースは諸学の父と呼ばれる。彼は論理学、物理学、生物学、心理学、倫理学その他を体系的に論じた最初の人であるが、彼はそれらの諸学の根柢に形而上学を置いた。形而上学の有つこのやうな位置は近世に到るまでずつと保たれてきてゐる。尤も近代に到つては特殊科学が非常な発達をしたため、哲学は科学によつて排斥されるやうな結果になつた。或はまた科学を根柢にして哲学を組織しようとする傾向も現はれてきた。しかし哲学は他の諸科学が発達したからと云つて、なくなるものでもなく、否定されるものでもない。科学がたとへどのやうに発達しても、哲学はまた違つた意味で発達して行くものである。哲学には他の諸科学と違つた意味があり、哲学はそれに対し独自の位置を占めるものである。

大体種々なる学問を区別するのに、二つの行き方がある。
 一つは研究対象 Gegenstand
 一つは研究方法 Methode
の相違によるものである。研究方法の相違によつて学問が区別され得るといふのは、同じ対象でも方法が異れば、異なる学問に属すると考へられるからである。例へば地下から発掘された石器は、方法の如何によつて、考古学の対象ともなれば、鉱物学の対象ともなる如くである。従つて哲学と他の諸科学との区別を明かにするためには、研究対象と研究方法の両面から考へて行く必要がある。

A 研究対象

まづ対象の面から考へてみる。特殊科学は自己の根柢に何かの前提、或は原理を予想するものであつて、それに基づいて特殊科学は成立する。例へば幾何学にとつては空間がかかる根本原理であらう。ユークリッド幾何学がいくつかの定義と公理 Axiom とから出発するのはそれである。同様に算術、代数、にも何かの前提があるであらうし、更に物理学の前提としては力とか運動とかといふものが考へられ、また生物学にとつての前提は生命といふものであらう。ところがかかる特殊科学の前提をなす根本原理は、それに基いて特殊科学がそれぞれに特殊科学として成立する所以のものであるから、特殊科学自身としてはそれを前提するだけで、それを更に立入つて説明し、証明することはできないであらう。しかし哲学は知識の最高統一を求めるものであるから、特殊科学がよつて以て立つ所以の根本原理を反省し、それぞれの根本原理の性格や相互の関係を明かにせざるを得ない。つまり哲学は、科学の根柢をなす公理を自己の研究対象とするものであり、ここに特殊科学と哲学との研究対象の上での相違がある。特殊科学は公理から出発するに対し、哲学はそのやうな公理を問題とするのである。

尤も哲学と科学との間には密接な関係がある。科学の進歩が哲学に影響を及ぼすこともあらうし、また哲学上の新しい考へ方が科学に刺戟を与へることもあらう。また科学も深く進んで行けば、哲学と同じ対象を取扱ふことにもならう。即ち公理それ自身が問題とされる場合もあるのである。しかしその場合にもよく考へてみればその取扱ひ方は全く違ふのであつて、特殊科学は公理を云はば下から見て行くのであり、哲学は云はば上から見て行くのである。特殊科学と哲学とは、知識の性質の上で相違がある。従つて哲学から特殊科学の公理を導き出すことも誤りだし、特殊科学の結論に基づいて哲学を組み立てることも誤りである。哲学と科学を混同するのは、両者の立場を乱し、両者のいづれも破る結果になる。尤も、哲学と科学とが知識の性質を異にするといつても、それは時として誤解されるやうに、哲学は科学では分らぬ不可思議なものを研究するといふ意味ではない。哲学は却つて極めて平凡なもの、普通には自明とされてゐるものを問題とするのである。例へば時間とは何か、空間とは何か。これは一般には分りきつたこととされてゐるであらうが、哲学はそれを問題とするものである。これに反し、死後は如何といふ如き問題は、哲学の問題ではなく、むしろ今後科学が発達することによつて明かにされる問題であらう。なほ古来、哲学上の概念と科学上の概念が混用され、そのため誤解を招くことが多い。例へばアリストテレースは、「完全な運動は円運動である」といふ意味のことを云つてゐる。しかしそれは哲学的な意味のもので、形相から出たものは質量に行くと共に再び形相に還る、即ち円形をなすといふ意味である。従つてそれを直ちに幾何学上の円と考へてはならない。――以上要するに、特殊科学は根本原理を前提し、それから出発して事実を説明しようとするに対し、哲学はかかる根本原理そのものを問題とするのである。

B 研究方法

次に、哲学と科学との相違を、その方法の面から考へてみよう。

古くから科学の最も根本的な方法としては
   一、演繹的方法
   二、帰納的方法
の二つが採用されてきてゐる。演繹的方法は普遍から特殊へであり、帰納的方法は特殊から普遍へである。前者の最もよい例は数学特に幾何学であり、後者は物理学、化学その他の特殊科学がそれに依るところのものである。特殊科学の方法は具体的にはそれぞれ多少の相違があらうが、論理的には畢竟この二つに帰着する。では哲学の方法としてはどのやうなものが考へられるのか。

歴史的に考へてみれば、古来哲学の方法として多く用ひられてきたのは演繹的方法であつたと云つてよい。それを明確な自覚をもつ行つたのは、近世の始め、デカルト以降の大陸の合理論に於てである。デカルトは人間の本質を理性に求め、数学的方法を最も厳密な方法であると考へた。そのことは彼の Discours de la méthode 〈方法序説〉に明瞭である。この考へはデカルト以後の人々を支配し、所謂デカルト学派となつた。デカルトを承けたスピノーザの立場も同様で、彼の主著 Ethica 〈倫理学〉には ordine geometrico demonstrata 〈幾何学的秩序によつて証明せられたる〉といふ副題が附せられてゐる。しかしこの考へは正しくない。カントが批評してゐるやうに、哲学は数学ではなく、幾何学的方法によつて哲学は成立するのではないのである。総じて演繹的方法は何等かの原理を前提してそこから出発するのであるが、哲学はかかる最高原理を更に深く反省して行かうとするものだからである。

では次に、帰納的方法はどうであるか。古来、帰納的方法で哲学を組織した例は余り多くはない。しかしデカルトと反対の立場に立つてゐたベイコンはすべての知識は経験によつて得られるものとし、帰納的方法によつて哲学を樹立しようとした。ここからイギリスの経験論が出発するのであるが、イギリス哲学には帰納的方法を採用する傾向が認められる。比較的新らしくはスペンサーの哲学もそれである。またドイツでも十九世紀中葉以降、自然科学の畑から哲学を論じた人々には、帰納的方法を用ひてゐる人々も見受けられる。ハルトマン Eduard von Hartmann が、哲学とは spekulative Resultate nach induktiv-naturwissenschaftlicher Methode 〈帰納法的・自然科学的方法による思弁的結果〉であると規定してゐるのも、同じ傾向の現れであらう。では帰納的方法は哲学の方法として適当かと云へばさうではない。帰納的方法は特殊から一般に還らうとするもので、最初から一般を前提しない点は好ましい。しかしよく考へてみれば帰納的方法も全然何らの仮定を立てぬものではなく、かへつて特定な形での一般的なものを前提してゐるのである。ミル J. S. Mill の論理学は帰納的方法を体系化したものであるが、彼は uniformity of nature 〈自然の斉一性〉といふことを前提してゐる。自然の斉一性とは、例へば今ここで水についての実験をするとする。その際、どの水をとつても同じことが起る筈だといふので、それは明かに一つの仮定である。また帰納的方法は因果律を前提してゐる。ところが因果律とは何かと云へば、因果律もやはり一つの仮定であらう。哲学は自然の斉一性とか、因果律とかいふものの根拠を更に問はなければならない。従つて帰納的方法も哲学の方法としては不適当である。――では演繹的方法及び帰納的方法の外に、哲学の方法としてどのやうな方法が考へられるか。

しかし哲学の方法として、別にこれと云つた一定の方法があつた訳ではない。哲学にも色々の傾向があり、範囲も広く、また歴史的に変遷する。もし哲学とは何かといふことが一義的に決定されるなら、哲学の方法も一義的に決定されようが、さうしたことは望まれない。では哲学には全然これと云つて決つた方法はないかといへば、さうではない。哲学の方法として、大体どのやうな性質のものでなければならないかといふことは云へると思ふ。私はそれは reflexive Methode od. Reflexion 〈反省的方法或は反省〉といふものだと思ふ。もと我々の知識には二つの傾向がある。一つは、何かの根本原理を前提し、それから特殊なものを説明するものである。演繹的方法がそれであるのはいふまでもないが、上述したやうに帰納的方法もやはりそれに属する。かかる方法を総括して konstruktive Methode 〈構成的方法〉と呼ぶことにする。ところがこれに対し、予めどのやうな前提を設けることもせず、どこまでも反省を深め、より深い根柢に還つて考へて行かうとするものがある。かかる考へ方が反省的方法によるもので、哲学はかかる反省的方法の上に立つものであらう。無論かかる反省はどこまでも深くなり、無限に進むものであり、そこに哲学の進歩の無限性があると共に、どこまでも深くすべての知識を綜合するものとして、すべての知識が帰一して行く点が見られて行くから、そこに学としての哲学の可能の根拠も認められるのである。

そのことは過去の主要な哲学体系と比較しても云へると思ふ。古来の哲学は大きく形而上学と認識論の二つに分けることができるであらう。その中、

  1. 形而上学はアリストテレースに由来するとも云へやうが、アリストテレースは第一哲学は真実在の学であるとした。それは存在の意味を反省し、どこまでも深くつきとめて行かうとしたものと解してよいであらう。
  2. 次に認識論はカントに基づくであらうが、彼は知識はいかにして可能であるかを問ひ、知識の根本原理の探究を彼の課題とした。彼の kritische Methode 〈批判的方法〉も一種の反省的方法と解してよい。
  3. 尤もヘーゲルの哲学は単なる形而上学でも、単なる認識論でもなく、却つて形而上学と論理学とを綜合したものであり、それが彼の Dialektik 〈弁証法〉である。弁証法とは彼によれば konkretes Denken 〈具体的思惟〉の論理であり、我々の普通の思惟が抽象的であるのに反し、どこまでも具体的実在を追求するものと解すべきであらう。従つて彼の dialektische Methode 〈弁証法的方法〉にも、上述した意味での反省的方法の趣がある。
  4. また新しくはベルグソンの哲学の方法として intuition 〈直覚〉といふものを説いた。彼は我々の一般の知識は真実在を知るものではない。我々の知識はパリを色々な角度から写した写真のやうなものであり、真のパリは我々が直接にそこで暮してみねば分らない。そのやうに我々の生命の流動ともいふべき真実在は概念的知識によつてではなく、直覚によらねば掴まへられないといふのである。そのことは彼の Introduction à la métaphysique 〈形而上学序説〉のうちに巧みに説かれてゐる。ヘーゲルとは全く違つた行き方であるが、ベルグソンの intuitive Methode 〈直覚的方法〉も実在の具体的全体に迫らうとするものであらう。
  5. 更により新しくはフッセルの Phänomenologie 〈現象学〉も、あらゆる Einstellung 〈立場〉を ausschalten 〈排除〉して、すべての仮定以前の Sache selbst 〈事実そのもの〉を見ようとするものなのである。

このやうに古来の重要な哲学は、皆、反省的方法に通ずるものを使用してゐるのであり、逆に云へば反省的方法は古来の重要なすべての方法を含み得るものと云つてもよい。要するに哲学の方法は、reflexive Methode od. Reflexion といふべきであらう。尤も Reflextion といふ言葉は、これだけの説明では未だ曖昧であるが。

第二節 哲学と芸術

では次に、哲学と芸術とはどう関係するか。科学と芸術とが相違することは、その対象の面から云つても、また我々がそれに対する態度とか受け入れ方の面から云つても、明瞭であらう。尤も既に古くアリストテレースが云つてゐるやうに、芸術作品を創作する技術の点からすれば、芸術にも科学と類するところがある。しかしそれは外面的なことで、本質的には今日、芸術と科学を区別するのが普通であらう。ところが芸術と哲学との関係は、さう簡単に切り離すことはできない。芸術と哲学とには、内容的にも深い接触点があると考へられるのである。歴史的事実に徴してみても、同じギリシャ文化の精神が等しくギリシャ芸術にも、ギリシャ哲学にも現はれてゐる。ギリシャ人は実在を eidos 〈形相〉と考へたのであるが、そのことはギリシャ芸術にもギリシャ哲学にも等しく認められることであらう。同様に、中世のキリスト教文化の精神は、やはり等しく中世芸術にも現はれてゐる。このやうに芸術と哲学とには深い内面的関係があると云つてよい。では芸術と哲学とはどう関係するか。哲学の本質は前に述べておいたが、芸術の本質はどのやうなものであるのか。

芸術の本質を規定する場合、二つの面から考へて行く必要があらう。といふのは我々は芸術といふものについては、一方何か美なる対象を考へると共に、他方それについて美感を抱くからである。即ち、
 一、我々に美と感ぜられる対象は何であるか。
 二、我々がそれについて抱く美の感情とはどのやうな性質のものであるか。
古来、美を問題とする時、このやうな二つの問題があり、ある人は主として前者の立場から、またある人は後者の立場から美を論じたのである。私はまづ第二の問題から論じて行くことにしよう。

Ⅰ 美的感情 sensthetisches Gefühl

美的感情といふ場合、普通に頭に浮ぶ考へは、それは快感 pleasure であるといふ思想である。かうした考へは古代にもあつたが、近世でもバーク Edmund Burke 1728 - 1797 が彼の A philosophical inquiry into the origin of our ideas of the sublime and the beautiful 〈崇高と美について〉といふ書物で採つてゐる立場はそれである。当時のイギリスには、道徳のやうなものも moral sense 〈道徳観〉といふもので説明しようとする傾向があり、バークの立場もそれに属すると云つてよい。かうした立場からは、善とか美とか云はれるものも一種の快感として説明されるのである。ではどのやうな種類の快感が特に美感と呼ばれるのか。それにも色々な考へ方があらうが、次のやうな風に考へようとする人もある。美的快感は単なる感覚的快感ではない。例へば御馳走と音楽とでは、それから受ける快感は別である。美的な快感はコンスタントで、長く持続する。ところが肉体的な sensual な快感は度を過せば不快になり、長くは持続しない。前者は音楽を聴き慣れる場合のやうに慣れることによつて快感を増し、後者は習慣となれば快感を減ずる、等々。マーシャル Henry R. Marshall の美学 Pain, Pleasure and Aesthetics, 1894 などはかうした立場のものであらう。心理学的にはこのやうに説明する外はあるまい。しかし美や善の与へる快感は、単に肉体的な快感と単に強度や持続の長短といふ点で相違があるのではなく、むしろ質的に異るのである。快感それ自身に、高尚な快感と低級な快感といふ性質的な差別がある筈なのである。

この点から美感について適当な説明を与へてゐるのは、カントの Kritik der Urteilskraft 〈判断力批判〉である。カントは、我々がものを理解するのに二つの仕方があるとした。凡そ我々がものを理解するのには、一般的なもので特殊的なものを纏めて知るのである。判断とは特殊を普遍の中に入れることである、所謂包摂 Subsumption である。ところがその場合二つの仕方がある。
 一つは、一般が先づ与へられて、その中に特殊を入れる場合、
 一つは、特殊が先づ与へられて、それを纏めるべき普遍をそこから求められて行く場合、
である。前者は自然認識に於て原則や原理で個々の現象を限定する場合であつて、カントはそこに働く判断力を bestimmende Urteilskraft 〈限定的判断力〉と呼ぶ。後者は与へられた特殊を反省 reflektieren し、もとに還つて何かの概念的、一般的なものでそれを纏める場合であつて、その際求められて行く概念が目的概念である。生命現象や美の現象が理解されるのはそれによるのであり、カントはそこに働く判断力を reflektierende Urteilskraft 〈反省的判断力〉と呼ぶ。そのやうに、特殊が自から普遍に纏められて行く場合、それらの特殊は目的にかなつたものとして zweckmässig 〈合目的的〉と呼ばれる。我々の身体の諸器官が一つの身体に纏まる場合、それは身体といふ生命現象にとつて合目的的なので、生命現象が目的概念で考へられるのはそのためである。カントはそれを客観的合目的性と呼ぶ。ところが同じ合目的性でも主観的合目的性と呼ばれるものがある。ではそれはどういふものかと云へば、我々に与へられる個々の感覚が自から我々の認識能力一般に合致し、我々の認識能力の調和ある活動を活気づける場合である。カントはかかる主観的合目的性によつて美的感情を説明したのである。けだし美は美としてすべての人々によつて認められる普遍妥当的なものでなければならない。美は単なる趣味ではない、趣味は人によつて異なり、趣味は争ふことを得ない。しかるに美は、数学上の真理の如き意味ではないにせよ、やはり普遍妥当的であり、美醜を争ひ得るものでなければならない。ところが単に経験的なものは普遍妥当性を要求し得ないから、美の根柢にはアプリオリなものがなければならない。それが上述した認識能力一般であり、つまり我々の理解の形式に自から適ふ如きものが美なるものなのである。ところがすべて目的に適ひ、目的を実現するものは快感を与へるであらうが、このやうに主観的合目的性を実現するのも、我々に純粋な喜を与へるのであり、それがカントにとつての美的感情なのである。「無関心 interesselosig な満足の感情」であると定義する所以である。ゲーテが、我々にとつて何の利害の関係もない天上の星が最美である、“Die Sterne, die begehrt man nicht; Man freut sich ihrer Pracht.”といふのもそれであらう。ショーペンハウエルも同じ立場から美を論じた。彼の Die Welt als Wille und Vorstellung 〈意志と表象としての世界〉第三巻にある芸術論がそれで、夜、月光に照された庭が、昼、日光の下で見るよりも美しく感ぜられるのは、日光は我々の生活に直接の関係があるのに反し、月光は我々にとつて直接の利害関係がないからだと云つてゐる。要するに美的感情とは無関心の喜びなのである。

Ⅱ 美的対象

では次に我々が美と認めるところのものはどのやうなものであるか。例へば芸術作品が美であるのはいかにしてか。それについては、芸術作品は実在を模倣 Nachahmung, imitation したもので、例へば絵画が真に迫ると云はれるやうに、実在をありのままに写したものが美であるといふ考へが一般に行はれてゐる。古くはアリストテレースが芸術は模倣であると考へたのもそれである。しかしこの考へはよく考へてみると、芸術作品の美を十分に説明し得るものではない。成程、絵画や彫刻は模倣で多少の説明はできる。しかし詩になると既に模倣では説明が困難になる。況んや音楽や建築になれば、何を模倣したとも云ひ難いであらう。大体、実在を忠実に写したものが美だといふならば、写真が最も美しいと云はねばならぬことになるであらう。しかし誰もさうは考へない。

しかし芸術作品はやはり何かを写すとか、表現するとか考へられる。では何を表現するのかと云へば、私はそれは真実在を写すのだと云つてよいと思ふ。無論、真実在とは何かといふことはむつかしい問題であるが、私は真実在とは我々が直接に体験する生きた生命だと一応云つておかう。時間、空間、因果律といつたもので統一された物理的現象の如きものではなく、ベルグソンの所謂純粋持続の如きものが真実在である。我々はそれを概念的に分析して知るのではなく、云はばそれと共に生きること、即ち mitleben することによつてそれをぢかに知るのである。例へば花を見る時に、花弁は何枚あるか、といふやうなことをいくら正確に数へても、それでは真実の花の生命に触れてゐるのではない。我々は花と mitleben 〈共に生きる〉ことによつて花の真相に触れるのである。リップス Theodor Lipps の美学は Einfühling 〈感情移入〉といふことで芸術を説明するのであるが、例へば綱渡りをしてゐる人を見ると、我々も自然とその人と同じ身振をするやうになるであらう。そしてそれによつて対象を理解する。しかもその時、対象の中に何かが髣髴として現はれてくるであらうが、それが芸術の内容をなす生きた具体的な生命なのである。我々が対象と共に生き、フィードラーの云ふやうに、我々が全身目となり耳となつた時、そこに芸術が生まれるのである。このことは十九世紀絵画史の推移からしても理解することができやう。最初は対象をありのままに写す réalisme 〈写実主義〉であつたのが、段々と impressionnisme 〈印象主義〉になつて行つた。単に知的に客観的に見られたものが、色の塊といふ風に印象的に見られ、更にその方向に徹底されたのである。南画といふものも同様に、物の生きた精神を写すといふ意味で美なのである。音楽は色も形もないが、ショーペンハウエルがいふやうに、物自体 Ding an sich としての生命の真相を表現してゐるから美なのである。――芸術の本質は一応以上のやうに考へておいてよいと思ふ。では哲学と芸術とはどう関係するか。

哲学は概念的なものである。しかし概念的と云つても普通の知識とは性質を異にする。すべての科学は何かのアプリオリを前提して成立する。ところが哲学はかかる前提をなすアプリオリを更に反省し、その奥に還つて深い統一を求める。つまり最も具体的な真実在に還らうとするのである。この点、哲学は科学よりむしろ芸術に類するところがある。また真実在はすべて人格的なものであらう。ところが単なる概念は抽象的、一般的で人格的内容を盛ることはできない。ところが哲学はその内容に於ても真実在に触れるものであり、人格的である。哲学が時代により、人によつて異る所以である。フィヒテが、いかなる哲学を人が有つかは、いかなる人で彼があるかによる、といふのもそれである。しかし哲学はそれにも拘はらず単に個人的なものではなく、普遍妥当性を有つものである。丁度優れた芸術が極めて個性的でありながら、普遍妥当性を有つのと同様であらう。一般妥当性は、単なる同一性 Gleichheit とは別である。唯一なるものが却つて一般妥当性を有つのである。人格はそれぞれ唯一のものでありながら、すぐれた人格は何人もそれを認めねばなるまい。即ち普遍妥当的なのである。これらの点に於て、哲学は特殊科学よりむしろ芸術に類するところがある。しかしそれにも拘はらず哲学はやはり芸術ではない。ではどこに相違があるかと云へば、哲学はどこまでも概念的だといふことである。この点、哲学はやはり学である。例へばシェリングやショーペンハウエルの哲学は極めて芸術的ではあるが、やはり概念的だから哲学なのである。これに反しゲーテのファウストは、その内容は哲学的だが、その表現に於て芸術なのである。これには色々問題があるが、哲学も芸術も共に真実在を求める点で同一であるが、その求め方、表現の仕方の上で、哲学と芸術に相違が認められるのである。

第三節 哲学と宗教

哲学と宗教とは古来密接な関係を有つてゐた。ある時は哲学と宗教とが互に衝突したこともあり、またある時は哲学と宗教とが互に助け合ふこともあつた。歴史がそれを示してゐる。

これをギリシャについて見れば、ギリシャ文化は最初は宗教を基礎としたものであつた。ホーマー以前の時代がそれであつたと云つてよいであらう。しかしギリシャが次第に隆盛になり、植民地も増し、文化が拡がると共に、段々と合理主義的な精神が強くなつてきた。古来のギリシャ宗教に対して疑惑を抱く人々が出て、古い信仰は批判され、破壊された。そのやうな傾向が著しかつたのは、ソフィスト達や、それに先立つ人々の時代であつた。しかしそれによつて宗教的信仰が全くなくなつたかと云へば、さうではない。ソクラテスは概念的知識のうちに永遠な本質を認め、それによつて新しい哲学の基礎を置いたのであるが、プラトンはその考へを承け、哲学の中に宗教的内容を取り入れた。プラトン哲学の意図するところは、魂の不死にせよ、かなり宗教的であつたと云つてよい。彼はホーマーによつて描かれた神々が、余りにも人間的であり、不倫であることを責めるのであるが、それはプラトンが古来のギリシャ宗教を合理化し、倫理化しつつあるものとも解される。要するにギリシャ哲学は、宗教を破壊すると共に、宗教に対して建設的であつたとも解釈できるのである。更にギリシャ末期以来、キリスト教が哲学によつて解釈され、哲学が宗教問題の解明のための手段となり、結局哲学は神学の婢とされたのである。このやうに宗教と哲学の関係には深いものがある。それが相反するもののやうに考へられ、また事実宗教と哲学とに屡〻衝突が起つたといふことも、却つて宗教と哲学とが極めて類似した性質を有つからである。哲学は科学とも、また芸術とも関係する。しかし宗教とは最も深い関係を有つのである。真に深い哲学は宗教的内容を合理化したものとも考へられる。では宗教と哲学とはどのやうに関係するか。

Ⅰ 宗教の本質

しかしそれについて述べる前に、予め宗教とは何かといふことを考へておかねばならない。ところが宗教とは何かといふことを考へるのに、二つの行き方がある。一つは Religionswissenschaft 〈宗教学〉であり、一つは Religionsphilosophie 〈宗教哲学〉である。前者即ち宗教学とは、宗教現象を実証的に研究しようとするものである。普通に我々が宗教的と考へる現象にも色々のものがあらう。しかしその中、最も重要な意味を有つ事柄は、何か神的なものを対象とするといふことである。神を信ずるとか、神に祈るとかいふのもすべてそれであらう。ところがその際宗教学とは、神とは何かと云つて神の本質を尋ねるよりは、神的なものに対する我々の行、例へば Kultus 〈儀礼、礼拝〉といふ如き、実証的に確かめ得る宗教現象の事実を問題としようとするものである。このやうな宗教学は未開人の宗教生活の実相を示し、宗教の歴史的由来や、宗教の社会的機能を明かにした点で功績はあるのであるが、それによつて直ちに宗教の本質が究められたとは云ひ難い。これに反し後者即ち宗教哲学はむしろ神の本質や、我々の宗教心の本質を問題とするのであり、この方が宗教の本質によりよく迫つて行くものであらう。ではこのやうに宗教哲学的に考へた時、宗教とはどのやうなものであるか。

我々は宗教を要求する。では何故我々は宗教を要求するのか。私は宗教といふものは、『我』と『世界』との関係、即ち主観と客観との関係に基づいて要求されるのだと思ふ。我はこの世界に生きてゐる。その際、我なかるべからず、であると共に、この世界なかるべからず、でもある。このやうな我と世界との関係が宗教といふものの出発点なのである。けだし我々にはどこまでも生きようとする意欲がある。あくまでも『生きんとする欲する意志』がある。そしてどこまでも自己の生命を発展させんことを願ふ。ところがその際、外なる世界はかかる我の意欲を助ける場合もあれば、妨げる場合もある。我は世界なくして生きることを得ず、世界はしかもその際、生きんと欲する我の意志を、或は助成し或は阻碍する。しかも我々はあくまで生きんことを求め、永遠の生命を求める。このやうにどこまでも生きんとすることが宗教心なのである。従つて宗教心といふ一種特別のものが人間にあるのではない。生きんとする意志の根本的要求が宗教心なのである。我と世界とには根本的な矛盾があるが、しかもそれを超えて一つになり、あくまで生きんとする意志が宗教心なのである。尤も我と世界とが一つになると云つても、それに二つの仕方があらう。一つは外面的にであり、一つは内面的にである。外面的とは自分の欲求を中心とし、外界を自己の生命の手段と考へ、かくて世界を自己の中に取り入れ、外から世界と合致して行かうとするものである。しかし今も云つたやうに、世界にはどこまでも自己の欲求と矛盾した点がある。そのことは我の Lebenstrieb 〈生命欲〉が強烈になればなるだけ明瞭にならざるを得まい。世界はどうしても我々の中に取り入れ切ることはできない。死の現象はそのことを痛烈に思はすであらう。古来死といふことが最も強く宗教心を養つた所以でもあるのである。従つてここに自己といふものの転換が必要となる。即ち今までは自己に対立するものとしてきた世界の奥底に真の自我を認め、外界や客観の背後に真の我ありとするものである。このやうに我の転換によつて内から世界と一つになり、真の生命と合一するのが、内面的にといふことなのである。一体、我々の生命の根柢には、単なる理性以上のものがあり、それによつて世界の真生命と結ばれてをり、そこに永遠の生命がある。かかる永遠の生命を求めることが宗教心である。神とはかかる永遠の生命の根源である。しかもこのやうな永遠の生命との合一には自我の転換が必要である。古来宗教に於て新生 Wiedergeburt とか囘心 conversion, Bekehrung とかいふことが説かれざるを得ないのは、そのためである。我々は絶後に甦るのであり、所謂自己のために自己を求むるものは死し、神のために死するものは生く、なのである。

Ⅱ 宗教学との関係

宗教の本質は大体このやうなものと考へてよいであらうが、宗教の実証的研究即ち宗教学の齎らした結果もそれと矛盾するものではなく、却つてそれによつて一層その意味が明かになると考へてよい。宗教学 Religionswissenschaft, science of religion と云つても、宗教心理学的傾向のものと宗教社会学的傾向のものとの二つがあるが、まづ前者の方から考へて行くことにしよう。

オランダのティーレ Cornelius Petrus Tiele 1830-1902 は宗教学の先駆者の一人であるが、彼の言葉に、宗教とは supernatural 〈超自然的〉なものと人間との関係である、といふのがある。宗教にた確かに supernatural なものがなければならず、 supernatural なものは単に人間的なものではない。しかしそれが単にそれだけのものに止まるなら、やはり宗教にはならない。 supernaturalなものは人間とは異なりながら人間と結びついたものでなければならない。例へば宗教心は恐怖から起ると云はれる。印度の宗教などを見ると確かにさう解せられる面がある。偉大な自然力に対する恐怖心が彼等の宗教心をそそつたのであらう。しかし単に強大な力といふだけでは宗教の対象にはならない。それは同時に我々の尊敬を呼び起すもの、更らには我々の生命の源と考へられるものでなければなるまい。宗教の対象となるものは確かに不可知なもの、恐るべきもの、神秘なものであらうが、それが同時に我々の生命の源と考へられることによつて、宗教心が起るのである。ヂェイムスの The Varieties of Religious Experience 〈宗教的経験の種々相〉は、宗教を心理学的に論じたものであるが、彼はその中で次のやうに云つてゐる。「宗教とは個人が彼等の solitude 〈孤独〉の中にあつて、何か彼等が the divine 〈聖なるもの〉と自らが関係してゐると思つてゐる限りに於て、彼等の有つ感情、行為、経験である、」と。尤もヂェイムスがいふ「聖なるもの」とは必らずしも神である必要はなく、何か godlike 〈神の如きもの〉であればよい。宇宙とか生命とかいふものに対する全体的反応 total reaction upon life が宗教であり、そこに我々は聖なるものを感ずるのである。宇宙は単に我を拡大したものではなく、世界は我ではない。世界は我に対するものである。そして我々はかかる世界を accept しなければならない。しかし世界の受容の仕方に二通りあるとヂェイムスは考へる。一つは道徳的にであり、一つは宗教的にである。道徳的にといふのは、世界の全体を支配してゐる法則を認め、それに submission 〈服従〉することであり、その究極はストアの哲学者達に於けるやうにあきらめ、即ち所謂 stoic resignation 〈ストア的断念〉をもつてである。従つて人が道徳的に世界を受容してゐる時には、 the heaviest and coldest heart 〈最も重苦しく且つ冷い心〉をもつて世界の掟に従つてゐるのである。しかしこれに反し、 cheerful heart 〈喜びの心〉をもつて welcome 〈歓迎〉するといふ受け入れ方もあらう。それが宗教的にといふことであり、そこでは世界の掟も道徳の場合のやうに重々しい yoke 〈軛〉として彼を締めつけることはない。却つて逆に我々の生命を拡大する所以のものとなる。神からの恩寵となる。だからヂェイムスは云ふ。 Religious feeling is thus an absolute addition to the Subject's range of life. It gives him a new sphere of power: 〈宗教的感情はかくてその人の生命の範囲が絶対に増加せられることである。それは彼に力の新しい領域を与へる、〉宗教とは the keynote of the universe sounding in our ears 〈我々の耳の中に鳴りひびく宇宙の基調音〉である、と。ヂェイムスは我といふものを心理学的に次のやうに説明してゐる。所謂我の心といふものは ideas 〈観念〉の結合であらう。ところがその結合の範囲はそれをどこまでも拡げることができ、また狭めることもできる。普通に我々の心は我々の身体といふ有機体を範囲として考へられてゐる。しかしそれを狭めて行けば、結局何もない意識の統一点といふ如きものになつて了ふ。しかしそれを逆に拡げて行けば、 subconsciousness 〈下意識〉といふ如きものを通じて大きな我に連つて行くであらう。我々には二つの我がある。一つは肉体的な我であり、一つはどこまでも拡がつて行く我である。宗教とは後者を通じて世界の中心に還ることである、と。かかるヂェイムスの説明は心理学的なものであるが、宗教とは大なる生命に還り、大なる我に還るものであるといふ宗教の本質を、心理学的に説いたものであると考へてよい。宗教とは我と世界との矛盾から起り、その矛盾を解決するものである。では宗教社会学からはどうであるか。

今日有名なフランスの社会学者デュルケイム Emile Durkheim 1858-1917 等によつて宗教の社会的起源が明かにされた。彼は云ふ。宗教は個人の造るものではなく、社会的事実として発達するものである。未開社会の人々はすべてのものを profane 〈世俗的なもの〉と sacré 〈聖なるもの〉とに分けて考へる。聖なるものといふのが宗教的なものなので、それは社会生活と関係してゐる。社会の集団的生命が個人に対して sacré といふ意味を有つのである。アメリカの宗教学者エイムズ Ames も次のやうに考へてゐる。宗教は社会生活と関係がある。我々の自我と客観界との合一はまづ社会生活として現はれる。だから社会意識の発達は常に宗教が中心となつて起るのであり、それの発達に基づいて民族意識とか国民意識とかいふものが生じて来る。民族意識といふものが常に宗教的な意味を有ち、民族宗教を地盤とするのはそのためである。例へばギリシャ人の宗教、所謂 Olympic religion がギリシャ精神を現はしてゐるが如くである。ギリシャ人の宗教は芸術的な宗教である。しかしニーチェが彼の「悲劇の誕生」で論じてゐるやうに、ギリシャ人にももと pessimistisch 〈厭世主義的〉な傾向が強かつた。そのペシミズムに耐へ得たのがギリシャ人の芸術的精神なので、ギリシャ人の芸術的宗教はこのやうなギリシャ精神に基づいてゐるのである。また古代ゲルマン人の宗教はどうかと云へば、それは既に全く滅んで、今日には伝つてゐない。しかしハルトマン Eduard von Hartmann 1842-1906 はゲルマンの宗教にも深い意味があつたとする。何故かと云へばゲルマンの宗教は国土と民族的生命との結びつきの上に成立してゐるからといふのである。即ち彼は北欧神話の基は Jahresmythos 〈四季の神話〉にあり、四季の推移に認められる自然力を神格化し、そこに人間の生命に連なる大なる生命を見たと解するのである。北欧神話の中心をなす神は Odin (Wodan) である。しかしその下に最も美しく且つ賢明な神として Baldre (Baldur) といふ神がある。この神は春と夏の神である。ところがこの神は Hödur (Hother) といふ神によつて殺される。ヘドゥールといふ神は盲目の神であり、冬の神であるが、邪悪の神 Loki (Loge) によつて欺かれて、春の神バルドゥールを殺すといふことになつてゐる。古代ゲルマンでは春(或は夏)と冬との二季だけが認められてゐたのであり、それを神格化し、その交代を神話化したものが以上の話である。ここから更に進んで古代ゲルマン人は、夏と冬の交代だけではなく、 Weltenjahr 〈世界年〉といふものを考へ、世界も滅しまた生ずるものと考へたとハルトマンは云ふ。同じことはキリスト教の由来についても云へるであらう。キリスト教はもとイスラエルの民族宗教に由来する。イスラエル民族の神 Jahveh (Jehova) はもと暴風雨の神であつた。それが段々と倫理化され、正義の神となつた。以上の宗教史的な事実からしても知られるやうに、原始的な宗教には民族や集団の生命、更にそれと繋がる自然の生命との深い関聯があり、未開人の宗教も畢竟大なる生命との合一を求むるものと云つてよいであらう。しかし我々の生命は民族的生命に尽きるものではなく、更にそれを越えた大きな生命に還らうとするものであり、ここに民族宗教がキリスト教や仏教等の世界宗教に発展する所以があるのである。民族宗教はそれぞれの民族の性格によつて異なる内容を有つであらうが、世界宗教となればなるほど真、善、美といふやうな普遍妥当的な価値や理想を自らの内に含んでくるのである。では宗教的価値云はば「聖」といふものは、真、善、美といふやうな価値といかに関係するか。

Ⅲ 真善美と宗教

偉大な宗教にはすべて真、善、美といふやうな普遍的な価値或は理想と通ずるところがある。では我々の生の根本的要求としての宗教的価値はそれらの価値とどう関係するのであるか。

古来の宗教哲学についてみると、宗教的価値と理論的価値とを一つに見る見方がある。即ち我々が宗教的に神を求めることと、哲学的に深く神を知ることとが一つだとするのである。云はば宗教は哲学に帰するといふのである。このやうな考へは極めて古くからあり、ギリシャ末期の新プラトン学派の祖プロチーヌスはその典型的なものである。彼は真理を知ることが解脱であり、宗教的な救ひであり、逆に迷ひが悪であるとした。近世哲学で一番このやうな考へ方に近いのはスピノーザである。彼によれば我々のすべての苦悩は無知から起る。人はより高い知慧をもてばもつだけ能動的になり幸福になる。無知であることは逆に受動的であり、不幸であることである。ところが最高の知慧は神を知ることであるから、神を知ることによつて我々は最高の幸福に達し、解脱を得る。即ち神の哲学的認識が宗教的解脱なのである。この考への中には一面確かに真理が認められはするが、しかしもしそれだけなら、それは宗教の一面を語るだけで、その全体を語るものではない。

次に宗教的価値と倫理的価値とを同一視する傾向のものもある。キリスト教はもとユダヤ教から出たものであるが、 sittliche Religion 〈倫理的宗教〉と云はれるやうに、キリスト教では倫理的価値と宗教的価値とがかなり密接に結びついてゐる。宗教哲学としてはカントの哲学は余程さうしたものであらう。彼は宗教の根柢を道徳に求めた。彼は霊魂の不死や神の存在を道徳からして基礎づけた。我々は霊魂の不死や神の存在を知識の上から知るを得ない。しかし道徳は我々の直接の体験としてそれを認めねばならない。そして道徳を認める以上、宗教を認めねばならない。けだし我々がどこまでも道徳的に完成したものになり得るためには、霊魂の不死が要請され、また道徳と幸福とが合致するためには神が要請されねばならないからといふのである。この考へを推しつめると、道徳をたてるために宗教が求められたとも云ふことができ、そこにはカント以前の Deismus 〈理神論〉の名残が窺はれる。このやうな考へ方にも一応尤もなところがあり、道徳の極致は宗教だとも云へるであらう。しかしその他面、道徳と宗教は却つて一致しないところがある。宗教家必らずしも道徳家ではなく、逆に道徳家また必らずしも宗教家でない。宗教と道徳とは極めて接近してゐるが、全く同一だといふのではない。それは宗教と学問との関係についても云へることで、宗教家必らずしも学者でなく、学者必らずしも宗教家でない。しかし宗教家は学者より一層真理を知つてゐるとも云へる。しかしその時、真理といふ意味は変つてゐる。普通の意味の真理を棄てる時、彼はより深い真理に達したのであらう。そのやうに、普通の意味での善とか道徳を棄てることによつて、人は宗教に達するのではないのか。

次に宗教的価値と芸術的価値とに類似点を見ようとする人がある。確かに両者には共通点があり、宗教家にはどこか芸術家的な風格がある。いづれも世界を利害得失に煩はされずに直観するところが似てゐるのであらう。ショーペンハウエルが云ふやうに、芸術家は創作する瞬間に於て聖であり、宗教家は生涯聖なる生活を送る人である。かつてプロチーヌスは真実の世界は美なる世界であると考へ、近世に於てもイギリスのシャフツベリ Earl of Shaftesbury 1671-1713 は宇宙の真相を美なる調和と考へた。また近代宗教哲学の巨匠シュライエルマッヘル Friedrich Schliermacher 1768-1834 にも宗教的直観と芸術的直観とを同一視しようとする面もある。しかしシュライエルマッヘルの考へはそれに尽きない。彼は宗教の他の面にも十分の注意を払つてゐる。これに反し宗教と芸術を殆ど同一視したのは、むしろフリース Jakob Friedrich Fries 1773-1843 であつた。彼はカントの影響を受けたのであるが、我々の心の働き或は Überzeugungen〈確信〉に三種類を分つた。
Wissen
Glaube
Ahndung
の三つがそれである。第一の Wissen 即ち知識はカントに於けると同じく、形式が感覚的な内容と結びついて成立するものであり、直観によつて証明される。第二の Glaube 即ち信仰とは彼に於てはむしろ道徳的なもので、先天的な ideal 〈理想〉が経験的事実によることなく、自からにして証明されるものである。道徳的確信は常にかかる理念に基づく。例へば善人とは実際にある人間ではなく、むしろあらねばならぬ人間であるが如くであらう。第三の Ahndung とは Ahnen と同じで予感とか感得するとかいふ意味である。即ちフリースにとつては、有限な現実のうちに無限なるものを感ずるのがそれである。芸術は現実を現はしながら、しかも無限なものを感ぜしめるから始めて芸術である。宗教も有限なものを無限なものの啓示とか象徴とかとして見る点は同じであらう。大体宗教的観念は Symbol 〈象徴〉であるが、象徴は芸術的なものである。このやうにフリースは芸術的体験と宗教的体験とを共に Ahndung によつて説明してゐるのであるから、両者を同一視したと云つてよい。フランスのサバティエ Auguste Sabatier 1839-1901 にも同じやうな考へがある。私はこのやうな考へにもやはり宗教の一面を捉へたところがあると思ふ。それどころか、宗教は学問や道徳に比して、むしろ芸術により一層接近してゐる点があると思ふ。芸術は現実と理想、真と善を綜合してゐるとも考へられるが、宗教にも同じ趣があるからである。しかしそれにも拘はらず、宗教は芸術とは別である。そのことは宗教家が描いた達磨と画家が描いた達磨との相違のうちにも感ぜられよう。ではどこに相違があるかと云へば、芸術の対象は畢竟 Schein 〈仮象〉であるのに対し、宗教の対象は究極の実在そのものであるといふ点にある。芸術も真に生きた実在に触れようとするのであらうが、やはりそれを眺めるといふ方向が勝つてゐる。だから仮象になる。それに対し宗教に於ては我々自身が究極の実在と合一し、それを生きようとするものなのである。

しかし以上三つの考へ方の外に、なほもう一つ別の考へ方にも触れておかなければならない。それは宗教的価値を真、善、美三つの価値を綜合するより根柢的なものと考へようとする立場である。シュライエルマッヘルは次のやうに Reden über die Religion 〈宗教講演〉に於て云つてゐる。”Sie 〔die Religion〕 begehrt nicht, das Universum seiner Natur nach zu bestimmen und zu erklären wie die Metaphysik, sie begehrt nicht, aus Kraft der Freiheit und der göttlichen Willkür des Menschen es fortzubilden und fertig zu machen wie die Moral. Ihr Wesen ist weder Denken noch Handeln, sondern Anschauung und Gefühl.“〈宗教は形而上学のやうに、宇宙の真相がどのやうなものであるかを、規定しまた説明せんことを願ふものでもない。宗教は道徳のやうに、人間の有つ自由と神的な意志の力によつて、宇宙の形成に資し、宇宙を完成せんと願ふものでもない。宗教の本質は思惟にもあらず、行為にもあらず、却つて直観と感情である。〉シュライエルマッヘルは、宗教の本質を、 Denken 〈思惟〉と Handeln 〈行為〉の未だ分れざる以前の状態に於て宇宙を直観することにありとしたのである。彼はそれを宇宙を andächtig belauschen 〈敬虔に窺ふ〉こととか、更に kindliche Passivität 〈無邪気な幼児の如き受動性〉に於て宇宙の影響に身を任すこととも云ふ。そこには芸術的感情に類するものが強く認められるにせよ、畢竟彼の所謂 transzendentes Fühlen 〈超越的感情〉としての schlechthinniges Abhängigkeitsgefühl 〈絶対帰依の感情〉に到るものであつて、宗教的価値を真、善、美の統一に置くものと解してもよいであらう。しかし彼には美の面が勝つてゐる。その点、ヴィンデルバントの Das Heilige 〈聖なるもの〉といふ論文は論理的にはより明瞭である。彼は云ふ。我々が実現すべき価値或は理想は、具体的には真、善、美の三つのみである。それらは所謂 Normalbewusstsein 〈規範意識〉に属する。しかしそれらは理想であり規範であるだけに、どこまでも理想と現実の対立を免れない。しかし我々はそこには止り得ない。我々はその対立を越え、 Ideal にして且つ Real な永遠の存在を求める。我々が真、善、美を求める時、我々の心には理想が既に永遠の現実である如きものが現はれてくるのでなければならない。かかる経験が宗教心である、と。従つて彼はかう云ふ。”Das Heilige ist also das Normalbewusstsein des Wahren, Guten und Schönen, erlebt als transzendente Wirklichkeit.“〈聖なるものとは、従つて、超越的現実として体験されるところの、真、善、美の規範意識なのである〉と。即ちヴィンデルバントに於ては『聖』と呼ばれる宗教的価値は内容的には真、善、美の外に別にあるのではなく、その統一であり、ただその統一が単なる理想ではなく、超越的現実として体験されるものだといふのである。この考へは確かに宗教的価値を、真、善、美のいづれか一つと同一視するものに比して、更に一歩進めたものであらう。しかし宗教といふものは、かうした考へ方によつてもなほ尽されないものなのである。この考へ方を批評することによつて、私が宗教の本質と考へてゐるものは、より一層明瞭になるであらう。

私はかかる考へ方は、なほやはりキリスト教的な考へ方に虜はれてゐると思ふ。なるほど神は一応、真、善、美の統一であり、絶対の価値とも考へられよう。我々が神に対して畏敬の念を抱くのはその為である。しかし宗教的価値は単なる価値ではない。むしろ無価値といふべきものである。すべて外に見られる価値を否定し、それを棄てたところに現はれるものである。大体、絶対的なる価値を外に求める限り、いくら真、善、美を加へて行つても、そこに宗教といふ新らしい意味は起るまい。真、善、美はそれぞれに変らぬものであり、自己の性質を維持するであらう。それらを互に寄せ合はせ、統一したところで、宗教といふ新らしい価値は生じない。むしろそれらの価値をすべて滅却したところに無価値の価値としての宗教的価値が現はれるのである。我々はどこまでも生きることを求める。しかし前に云つたやうに、生きることが死ぬことだといふところに真に生きるといふことがあるのであり、宗教の本質があるのである。自己が消えることが自己が産れることであり、その矛盾に宗教の本質がある。

以上述べたところで、宗教と哲学の関係も自から明かになつたであらう。それは簡単にはつぎのやうに纏めておいてよいと思ふ。哲学は知識であり、学である。しかし普通の科学が何かの仮定の上に立つてゐるのに反し、哲学はかかる仮定から更に飜つて、それらを直接に与へられたものによつて統一し、その根源に還らうとする。ところがかかる直接な、真に具体的な、根源的なものは、実は宗教の内容でもある。その点、哲学と宗教は合致する。しかし哲学はそれを概念的に明かにしようとし、宗教はそれを体験し、それを直接に生きようとする。だから偉大な哲学は宗教的内容を含み、偉大な宗教は哲学的反省を含むのである。

第三章 学問の分類

哲学はすべての知識、すべての学問の綜合統一を求めるものである。多くの哲学概論が学問の分類をなしてゐるのも、そのやうな要求の現はれであらう。しかし学問の分類をなすといふことは実際には困難なことである。けだし現在未だ種々なる学問の性質は、認識論的に十分に明かになつてゐるとは云へないからである。だからここでは昔からの分類の主なるものを挙げるだけにしよう。

その最も古いものはプラトンの分類である。プラトンは人間の Seelenvermögen, mental faculty 〈精神能力〉によつて学問を分類した。彼は我々の心の働きに、理性と感性と意志の三つを区別し、それぞれに対して弁証法、物理学、倫理学を配当した。この分類はプラトン自身の書物の中に明瞭に出てゐる訳でなく、むしろプラトン学派のクセノクラテス Xenokrates 396-314 B. C. の分類であるが、その源はプラトンにあつたと云つてよい。このプラトンの分類に多少新らしい見方を加へ、より詳細にしたのがアリストテレースの分類である。両者の関係を表で現はせば上のやうになる。(SVG画像・テスト作成)

プラトンは学問を精神能力で区別したのであるが、アリストテレースが学問を大きく理論の学と実践の学に分けたのは、学問の目的による分類であり、そこに多少の新らしさがある訳である。このアリストテレースの分類は近世の始めに到るまで長く行はれた。

しかし近世の始めに到つて新しい分類が生じた。それはイギリス経験論の祖ベイコンによるものである。

このベイコンの分類が Gedächtnis 〈記憶〉 Phantasie 〈想像力〉 Verstand 〈悟性〉にそれぞれ歴史と詩と哲学を配当してゐるのは、プラトン以来の人間の精神能力による分類と原理的には同じであるが、歴史を人間の歴史と自然の歴史に分け、人間の歴史を更に政治史、教会史等に分けてゐる点、また哲学を自然神学、宇宙論、人間学に分けてゐる点に於て、対象による学の分類であり、ベイコンによる新しい区別であると云つてよい。このベイコンの分類も、今日では既に古いが、歴史上長く用ひられた。(図あり)

このベイコンに既に現はれてゐる対象による学問の区分といふ仕方は十九世紀の始めに到り、徹底された。それはベンタム Jeremy Bentham 1748-1832 やアンペール André Marie Ampére 1775-1832 や学者リンネ Linné の生物の分類法に影響されたものであらうが、今日の自然科学と精神科学の区別は彼等に由来する。

なほ、余り有力ではなかつたが、フランスの社会学者コントによる分類がある。これは学問を単純なものから複雑なものへ階層的に順序づけたもので、即ち、数学、力学、天文学、物理学、化学、生物学、社会学といつた順である。イギリスのスペンサーの考へも大体これと類似してゐる。

以上が古来歴史に現はれた学問の分類の主なものである。尤もヴントはやや新らしく次のやうな分類を試みてゐる。彼は学問を大きく formale Wissenschaft 〈形式的科学〉即ち数学と reale Wissenschaft 〈実質的科学〉とに分け、後者を更に次のやうに細分してゐる。それは学問の性質から Phänomenologisch 〈現象学的〉 genetisch 〈発生的〉 systematisch 〈体系的〉の三つに分け、そこからして自然科学及び精神科学を更に分類したものである。この三分法はヘーゲルが哲学を「精神現象学」、「自然哲学」、「精神哲学」に分類したのと似た点がある。表で示せば上のやうになる。(表あり)

しかし現代に於て一番問題となるのはヴィンデルバント、リッケルト等による分類であらう。それは学問を対象によつてではなく、あくまでその方法の差によつて区別しようとするものである。それはもとカントの認識論に由来し、カントがすべての認識にはアプリオリなものが根柢にありとして考を押し拡げ、それぞれの学問の相違はそれぞれの学を成立させるアプリオリ、或は方法の相違に基づくとしたものである。その要点を簡単に述べておく。凡そ我々が物を知るのに二つの方向がある。一つは普遍化的把握であり、一つは個別化的把握である。リッケルトの所謂 generalisierende Auffassung と individualisierende Auffassung とである。我々が物を知ることは、物に名前を附与することから始まるともいへやうが、物の名前、つまり名詞に二種類ある。即ち普通名詞と固有名詞である。普通名詞は個性を棄てて普遍的なものに着目し、固有名詞は普遍的なものより個性に着目する。前者は犬、動物、生物といふ風に見て行くものであり、後者はそれにポチとか何とか名前をつけて行くものである。前者の方向、即ち普遍化的把握を学的に行へば自然科学になり、それは法則を明かにすることを任務とする。後者の方向、即ち個別化的方向を学的に行へば、それが歴史学或は文化科学であつて、その任務は個性を明かにするにある。ヴィンデルバントはそれを nomothetisch 〈法則定立的〉と idiographisch 〈個性記述的〉として区別する。事実今日の自然科学は生物学をも物理学や科学に還元しようとし、益〻普遍化の方向を辿つてゐる。また歴史学は時代や文化の個性を明かにしようとする。ヴィンデルバントが云ふやうに、ゲーテが一七八〇年に玄関の鈴を注文したといふ事実はそれだけではまだ歴史的事実ではない。それを通じて何かゲーテの個性が明かにされ得るに到つて始めて歴史的事実と云へるのである。所謂精神現象と云はれるものも、それを普遍化的に考へるなら、それは歴史学にではなく、自然科学に属さすべきである。実験心理学はかかるものであらう。かかるものがヴィンデルバントやリッケルトの考へであり、そこには尤もな点もある。特に自然科学については妥当する点が多いであらう。しかし歴史学の場合には簡単にさう云へるかどうか。歴史学の場合には、対象それ自身によつて方法が規定されてゐるといふ面もありはしないか。その点却つてディルタイが自然科学と精神科学の区別について、対象と生との関係からそれを論じてゐるのには、聴くべきものがあると思ふ。要するに、ここにはまだ色々の問題が残されてゐると思ふ。