民主主義と衆愚制

2003.9.12

石原慎太郎の「爆弾が仕掛けられて当たり前」発言はそんなに悪いのか。左からも右からも集中砲火を浴びているようだが、産経新聞社説の「あまりにも卑劣なやり方」とかいうのは、何の根拠もなく断じているものである。強いて言えば、「テロは悪」とかいうアメリカの建て前を根拠としているのかもしれないが、それを本気で言っているのかねと問いたい。本気で言っていればただのバカだが、それを建て前だと知ってそう主張しているとしたら、これ以上の読者に対する欺瞞はない。マスコミは右も左も根っこが同じという小林よしのりの主張はもっともである。

さて、今回の事件について言えば、真意は「いじめられる子にもいじめられるだけの理由がある」というのと同じだろう。今回の反応も、これを曲解する人がいるのと同じである。それを認める人は今回の石原発言も認めるし、いじめる方が悪いに決まってるじゃないかという人は拒否反応を示すだろう。

卑劣」という言葉に関しては、もとから殺す気があれば確実に爆発させることはできるのであって、銃弾を送りつけたり、爆発するかもしれない物を置いたりするだけならかわいいものである。イスラエルにおけるテロと比べてみればよい。実際に殺す気もなくただこそこそといたずらっぽいことをするだけで、犯行声明を出して顔を見せて自分の名と命を賭けているわけでもない。男なら、逮捕されることも、死ぬことも覚悟の上で堂々と実行せよと、そういう意味で卑劣と言うならわかる。

こんな新聞社の主張やほかの政治家たちの建て前だけのいい子ちゃん発言にうんうんそうだよなーとうなずく国民の多いこの国はやはりおかしい。そういう国民が投票で選んだ政治家が行う政治もよくなるはずがない。国民というのは、自分たちが選んだ政治家が政治をしているのだから、自分たちに責任があるのだという自覚もなく、ただ政治が悪いと言う。

例えば、究極の智慧者がいたとして、その人から見れば、他の人間はすべてアホである。アホの判断は間違いの方が多いものである。そのアホな人間の誤った判断によって選ばれて、アホの意見がまかり通るが民主主義である。アホから見れば民主主義でも、究極の智慧者から見れば、それは衆愚制である。アホの意見を集計した世論調査などは糞くらえである。

ならば、アホとは言わないまでも、国民は自らが愚かであるということを自覚して、究極の智慧者とは言わないまでも、自らより認識力や判断力があるだろうと思う人の意見に従うべきであろう。それは誰かと言えば、一言で言えば、徳高き人、ということになると思う。例えば、よく槍玉に挙げられる朝日新聞の社説は、拉致事件のことを見るだけでも、判断が正しいことはありえないと分かる。まあ、それでも分からないからアホと言う。産経新聞の社説も、本音は語らない。そういう点では、小林よしのりはそれらの新聞よりは信頼できるかもしれないが、徳高き人とは言えないだろう。石原慎太郎自身はどうだろうか。私にとっては、尊敬できる人の一人である。理由は様々あるが、あまり言われない点として、信仰心が篤いというのが最も重要な美徳の一つだと思う。

まあ少なくとも、「石原都知事発言は遺憾 閣僚が一斉に批判」とか言うことらしいが、小泉をはじめとする福田谷垣森山扇片山とかいう、うわべだけの建て前だけの口だけのわざわざ朝日新聞に媚びるような発言をする政治家たちよりは、だいぶましと言える。